🗓 2019年09月08日

賊 軍

 

私が会社に入って初めて配属されたのが、東京の下町である葛飾区新小岩であった。寅さんの帝釈柴又も近く、漫画の「亀有公園前派出所」の亀有も近い。ここで、証券会社のイロハを教わった。生まれて初めてお客様になったのは福島県出身者であった。ある産婦人科では、木戸を開けた瞬間、大型犬に鳴かれた。営業マンにとって犬は天敵である。そこは産婦人科であったが、奥さんは我々の事を「株屋」と呼んだ。父親が死亡した時に日本一の高額納税者であったお客様はあまり年が違わなかったが、気が合った。営業成績は全国トップレベルであり、全国で数名選ばれて海外研修で1週間アメリカに行った。当時のレートで旅行費は80万くらいのご褒美だったろうか。別途小遣いも支給された。
入社して数年たったころ、関西弁のある課長が転勤してきた。そして、「君はどこの出身だ?」と聞く。以前から、「福島」と答えても地図の知らない関西人には「福島県」がどこにあるか知らないのを知っていたので、「会津」と答えた。「なんだ。賊軍か。」が返事だった。昭和55年頃の話である。彼は四国の香川県出身であり地元の国立大学を出ていた。

時が移り、京都會津会の小西幹事長が我が家を訪れた。その時彼の母と私の母が小学校の同級生だったことを初めて知った。高校を卒業以来、音信不通であったが、彼の母が私の母に連絡をよこしたので再会できた。会津で40年ぶりの再会。ちょうどその翌年京都會津会の110年慰霊祭が行われる予定であった。小西君は会津高から京都大学を卒業し、当時京都府庁に勤めていた。そのようなわけで同志社女子大の吉海先生と一緒に歴史的な京都會津会110年法要に参加したのであった。

黒谷西雲院の京都會津会の慰霊祭で、驚いた。「賊軍か。」と言い放った課長の姉が受付にいたのである。只、不細工な弟の課長よりかなり美人であった。前から私が「不一・・・新島八重の遺したもの」を書いたときに弟から連絡を受けて、1、2度私と直接電話で話したことがあった。かなり高飛車な物言いなので、姉弟よく似ているなと思った。
何故、慰霊祭の受付にいるか不審に思ったのだが、なんとその課長の姉は会津出身者と結婚していたのである。会津出身の夫とは死別したけれど京都會津会のお手伝いをしていたのである。これには驚いた。
「なーんだ、俺を賊軍呼ばわりした課長のお姉さんは会津人と結婚していたんじゃないか。」その課長と一緒に仕事をしてから25年の月日が経っていた。

(文責:岩澤信千代)