🗓 2019年10月31日

「当たる」ということ

 
 本人は、決して当選して欲しいと思っていないけど当たってしまう人を私は二人知っている。

一人は私がサラリーマンをやっていた時の上司であり、福島県出身者であり一部上場企業の役員を務めた人である。社員一同でシュークリームを食べていたのだが、その人が食べていたのだけ酸っぱかったので、本人は異常に気が付き吐き出した。そこで、買い付けた店にそのシュークリームを持参し、調べてもらった。そうしたら、その店(名前を言えば有名なチエーン店)の店長が謝りに来て「工場で、賞味期限切れで廃棄すべき商品が混じってしまった。申し訳ない。」と新たに箱詰めのシュークリームを持ってきた。異常のないシュークリームを食べた私たちは、また再度2個目を食べたのでラッキーであったが、初めに古いシユークリームを食べ酸味を感じたその上司はさすがにお詫びのシュークリームに手を付けなかった。誠にお気の毒な事であった。その時のシュークリームの個数は50個ほどであったので50分の1の確率でたまたま上司の口に入ったことになる。
二度目はイタリア料理店であった。営業が終わり10人くらいでスパゲッテイなどを食べ、飲み食いしていたのだが、またしてもその上司がサラダを食べようとした途端、取り皿にとったサラダの中に「虫」が入っていたのに気が付いたのである。他の人の皿に虫はいなかった。その時は、店長が深くお詫びして一銭もお金を受け取らなかった。20000円弱の料金でなかったろうか。料理が出そろい、皆が料理を食べ終わる頃の出来事だったので全額無料になった。
 良く言えばその上司は、情が厚く「みんな遅くまで頑張ったから、焼肉か寿司を食いに行こう」と誘い解散するのは夜の11時頃だった。それが繰り返されるとさすがに薩摩出身の営業課長が私に泣きついてきた。「おいしいものより、睡眠が欲しい。」彼は埼玉県春日部から渋谷まで通勤していた。週に何回も午前様となり、睡眠時間が削られた。その上司は、独身者であり自宅も近かったので社員の通勤の苦労を知らず、良かれと思って経費を社員のために費消した。さすがに、私も敵国人であった薩摩出身者の願いを聞き入れ、上司に進言し飲む回数を減らしたのであった。

もう一人は、高校の同級生である。毎年連休の5月5日に同窓会のゴルフをやっている。200名弱の参加者で年々隆盛を極めている。企業オーナーのOBがこぞって景品を出すので、順位に関わらず全員が豪華な賞品を持ち帰ることができる。彼は自分の経営する会社から「ドーナッツ」を大量に景品として出した。 いざ、彼の該当順位になり、景品を受け取りに行くとなんと自分が提供した「ドーナッツ」ではないか。彼の落胆はいかばかりか。すぐに後輩の景品(果物)と取り換えてきた。後輩もとんだとばっちりであった。

そして、今年またしても彼のもとに中身の入っていない封筒が届いた。差出人は「会津高校」である。私に高校から何か連絡が来てないかと問い合わせがあったが、来ていないと答えた。彼は高校に問い合わせた。野球部の120周年記念式典の案内状ではないかとの答えであった。彼の野球部在籍は長くはなかったが、野球部OBとして多額の寄付をした。空封筒が届く確率は極めて低いのを発送作業の経験をした人は知っている。封筒を透かせばすぐにわかるし、糊付けする時もわかる。

二人に共通することは、金に不自由していないことである。よく当たるということはそういうことなのか?

(文責:岩澤信千代)