🗓 2019年11月25日

小よく大を制す

 

民友新聞2019年11月25日付

前に大相撲が好きだと書いた。私と長い間お世話になったYさんに国技館に招待されたことも書いた。1時間以上両国駅で待たされ、Yさんと待ち合わせて見たのは結びまでの3番勝負だけだった。桟敷席で見た力士の白い肌は美しい。これは現場で見ないとわからないのであるが、まさに美術館にいるようだ。
テレビで毎場所見ているのだが、最近では炎鵬のファンである。あの小さな体で大きな力士に勝つというのは私のような相撲好きにとっては最大の醍醐味である。北の富士のような洒脱なコメントがもっと欲しいが、「技のデパート」と言われた舞の海の解説も真面目でいい。

相撲を見ていつも思うのだが他のスポーツと違い、勝負のスタートがわからない。100m走だったら「レデイス」の次にピストルが鳴る。サッカー・ラグビーでは試合開始のホイッスルが鳴る。卓球ではサーブを打つ前に球を相手に見せる。だが相撲の解説は「息が合わなかったので仕切り直し」である。戦う相手と呼吸を合わせて取り組みが始まる。すなわち、相手の闘う準備ができ、自分にもできたときに肉弾戦が始まるのである。目を凝らして立ち合いを見ていると「制限時間いっぱい」「はっけよい」と掛け声を聞くと同時に「はたき落とし」とか「送り出し」で一瞬にして勝負がついてしまうこともある。勝負するもの同士が勝負の始まりを決めるのは日本の大相撲だけでないか。これが国技の国技たる由縁ではないか。と思う。

さて、24日に閉幕した九州場所は、横綱白鵬が14勝1敗で43度目の優勝という結果であった。横綱白鵬は安定感があり、大横綱の道をまっしぐらに進んでいる。最近日本に帰化したが、引退後も相撲協会の理事長として、初めて日本人以外の理事長として日本の国技を発展させていくことだろう。それは優勝回数といい異論が出ないだろう。白鵬にもいずれ現役引退の時期が来るだろうが、その引導を渡すのが炎鵬になるのではと内心期待している。大きな力士が小兵に破られるのは相撲の醍醐味だからである。横綱が引退するときには引退のきっかけになる勝負が必ずあるからだ。大関以下にはその地位を陥落してもまた星取表によりカムバックが可能であるが横綱にはそれが認められない。「引退」の2文字だけである。「心・技・体」を含め、求められるものが横綱は別格なのである。それを繰り返して大相撲が人気を博してきた歴史があるからである。

(文責:岩澤信千代)