🗓 2020年01月31日

2011年3月11日東北大震災が発生した。当時私は事務所にいたのだが激しい揺れがおさまるまで戸外に退避した。時間が経つにつれ各地の被害状況がテレビに映されてきてその被害状況がわかるようになってきた。津波の被害は未曽有のもので多くの人が犠牲になった。
何か私にできることはないかと思案したが、懐事情からして多額の義援金を拠出することはままならない。そんなときにNHKが被災地東北出身の「新島八重」を大河ドラマのヒロインにするという話が舞い込んできた。実際のところ、地元会津でも新島八重の知名度は高くない。しかし、私は幼少の時から「新島八重」のことは聞いて育った。新島八重が賛を書いた掛け軸があったからである。父親が虫干しの為壁にかけていたのを知っていたからである。

また、50歳になった時に実家に戻り、当時法律で制定されたばかりの「証券仲介業」を開業したのだが、数十年ぶりに家の整理をしていた。その時仏壇の中にあった「木箱」の中に新島八重の書簡(曾祖父庄伍宛)を見つけた。

この甚大な災害の復興のために私は何ができるかと考えたところNHK の発想と同じように八重と曾祖父岩澤庄伍との交流を本にしようと考えた。八重を書くことにより、所属する藩が消滅してもその後を一生懸命に生きた八重の生涯を書くことにより、復興に取り組む人々に何らかの勇気を与えられるかと考えたのである。八重の生涯、特に少女時代は資料が少ない。調べた結果、宮﨑十三八氏が八重の幼馴染おさななじみの日向ユキの手記「もと青」を著書に遺しておられた。ユキは400石どりの武士家庭に生まれ、八重の生家より裕福であったろうが少女時代は八重もそうだったろうと類推するに充分であった。大河ドラマ「八重の桜」でその文章を想像させる「川魚とりの場面があった。」本ができて脚本家山本むつみ女史にも「不一」を謹呈した。資料がないので八重の少女時代を描くのはずいぶん苦労されたと思う。当時宮崎氏の奥さんがご存命だったので「不一」に「もと青」全文を掲載する許可を頂いた。

 (画像:アマゾンのHPより)

さて、「不一」を上梓して7年が経った。そこで私は驚いた。ネットで「アマゾン」に「不一」を入力すると11500円の値が付いているではないか。需要と供給の関係で売れないと思うのだが自分の著書に高値がついているのに驚いた。他の値段も3000円以上である。しかし、残念ながら在庫はない。金銭的に子供たちに多くは残せないので遺産代わりに二人の息子に数冊残してあるだけだ。集めた掲載資料には、新出のものもあり自信はあるが驚くばかりである。八重が養女にした初子の母が会津藩参謀であった手代木直衛門の次女中枝だったことなどは私が初めて発見したことなどは自慢できる。

息子たちの為に残してある「不一」ではあるが、歴史好きの人が来るとついつい謹呈してしまう。勿論もらった人がアマゾンで「不一」が1万円の値段がついていることなど知る由もない。定価は2,000円と書いてある。

(文責:岩澤信千代)