🗓 2022年01月07日
テレビで新潟の豪雪を見て思い出した。車で行ったのだが十日町松之山温泉に繋がる道路に長いトンネルがあった。「トンネルを過ぎると雪国であった。」で始まる川端康成の小説がぐんと身近に迫った瞬間だった。
10年前50歳を期に会津に帰ってきたのだが、女房の母親孝行のつもりで小旅行を思いついた。女房と行き先をどこにするか考えていたところ、女房が一緒に東京の大学で学んだ同級生が婿をもらい新潟県十日町で旅館を経営していることに二人は思い至った。女房に連絡先を聞いて3名予約し、女将にどう行けばいいのか道を聞いた。
「何日か前に会津の喜多方から来られた方がいました。その方は只見を通ってきたと言ってました。」それを聞いて電話で案内されたとおりに私は長岡藩の家老河合継之助が通った八十里峠を運転し、松之山温泉に到着した。道中、有名な「魚沼のコシヒカリ」はこういう場所で栽培されているのか初めて風景も見ることができた。女房の友人の旅館名は「玉城屋」と言って温泉街でも堂々とした旅館であった。
帰宅して2週間くらいたってから高校の同級生を訪問した。話題の流れの中で「いま俺はルーツ探しをしている。母親は長野県出身で解ったのだが、父親の出身地がわからなくて新潟県まで調べに行ってきた。十日町の旅館に泊まった。」そこで彼は宿泊時の旅館の領収書を差し出した。
私は唖然とした。まさに「玉城屋」だったのである。瞬間女将の「喜多方から来たお客さん」がI君だとひらめいた。なんと女房の友人である女将が言っていた喜多方のお客さんとは私の高校同級生I君だったのだ。2週間も違わないで同じ旅館をニアミスしていたのである。
こんな予期せぬ事態が発生するのだ。前もって松之山温泉に行くことと予約した旅館名を聞いておけば、サービスするよう女房から友人の女将に連絡しておくこともできたのに。松之山温泉の女将さんの集まりが会津観光に来た時に女房に連絡があり、渋川問屋で女房を交えて昼食を共にした年である。
高齢の母の為、室内に風呂がある部屋を予約し、私は親子水入らずの邪魔をせぬよう別部屋をとった。食事の米がふっくらとして美味しかったのがよみがえる。偶然とはこのようなものか。
(文責:岩澤信千代)