🗓 2022年01月08日

今日近所の人が訪ねてきた。Sさんは2.3年前に奥さんと死別した。世間話をする過程で「顕彰会の慶徳会長のところに商用で行っていた。父親をよく知っている。」「あなたたちの結婚式に招待されたので出席した。当時の席順表を持っている。」わたしは自分の結婚式の列席者名簿は残しておかなかったので、大変驚いた。Sさんの自宅と我が家は数分とかからないので、まもなくそれを持ってきてくれた。段ボール箱に奥さんが入れて出席した結婚式の席順表を全て保管していたという。それを近くのコンビニに行きコピーしてきた。

実は妻と結婚してから40年以上経つが誕生日プレゼントとか結婚記念日のプレゼントを妻に贈った記憶がない。誕生日ということで食事を一緒にしたことはあるが物品でプレゼントしたことはない。妻は私の誕生日に衣服や靴などをくれたのだがお返しをしたことがない。例外が一度だけあった。部下の妹が宝石店に勤めているから買ってくれと頼まれて、ダイヤモンドのネックレス38万のものが18万で買えると言われたので買ったことがある。今まで女房の為に買ったものの中で最高額である。当時の証券会社は給料が良かったので大判振る舞いをした。後年、会津に帰り、妻が指輪にしようと思いたち地元の宝石店で鑑定したらジルコニア(人工ダイヤ)と言われたと女房はしょんぼりしていたのを思い出す。プレゼントされて時間が経っていたから女房は怒る気もしなかったのだろう。

当時割引率が高かったので不審に思ったが、岩手県出身で同じ東北、まさか社員の関係者が嘘をつかないだろうという先入観があった。その社員は酔っぱらって車に衝突され2mも飛ばされたが軽症で済んだ。飲みすぎていて体に無駄な力が作用しなかったらしい。すなわち蛸のように軟着陸したようだ。尚且つ私が転勤後、川崎市の大地主の一人娘と結婚したと聞いた。世間知らずの自分を責めても彼を責める気にはならない。

誕生日とか結婚記念日は毎年やってくるので、一度差し上げると毎年何にしようかとか悩むことになるのが面倒くさいというのが大きな理由だ。「私の妻の誕生日と結婚式が同じだったので忘れる心配がなかった。年を取ってからは子供たちが祝ってくれた。」というSさんの言葉には身につまされる思いだ。

40年ぶりに列席者名を見たが友人代表の席に顕彰会の慶徳会長が座っている。友人代表でスピーチをしてもらった。東京の初日のホテルの部屋までついてきて大酒を飲み帰ろうとしなかった大学時代の友人Y君もK君も慶徳君の前に座っている。父親の関係の招待者名もあるが40年もたつと鬼籍に入っている人も多い。

女房側の招待者名には前稿に書いた新潟県の松之山温泉「玉城屋」の女将もいた。毎年暮れに錦城ワインを送ってくれる山梨県の友人もいたし、遠くは秋田からの友人もいた。多くの人に迷惑をかけたのだと今更思った。

勤めていた会社の上司も数名いた。帰る時に叔母が気を利かして上司たちが手持ち無沙汰にならないようにと駅で日本酒を買って渡したことも思いだした。遠方より出席してくれた方には交通費の半分くらいはお返しするのが常識なのかもしれないが、当時の私にはそのような気配りができなかったことなども思い起こされた。

そのようなわけで40年ぶりに結婚式の参列者を見たのだが偶然にも今日は女房の誕生日だった。そぞろ女房の部屋に行き、「これ誕生日プレゼントだ。」と言って先程手に入れた結婚式の列席者のコピーを渡した。

やはり、胡散臭そうな目で私を睨みつけるだけで女房は一言も発しなかった。でも、夕食の時に少し懐かしかったような発言があった。結婚21年、コピー代10円の誕生日プレゼントである。

追記:買わされたものが指輪だったか、ネックレスだったか忘れたので妻に確認したら、不機嫌になった。寝た子を起こしてしまった。

(文責:岩澤信千代)