🗓 2023年04月28日
会津には「せっかくの使い」というものがある。数代に亘り冠婚葬祭を共に行ってきた。今のように葬祭式場がなかったので自宅で通夜を行い葬儀も自宅で行った。食べ物・飲み物を弔問客にふるまうので相当の人手が必要だったのだ。我が家も折角のある家が20件程度ある。会津の場所によっては「一家総代」と呼ぶところもある。
私は父親と祖母の葬儀を自宅で行った。香奠帳の記録を見ると通夜用70人分葬儀用80人分の料理を用意した。喪の家に一番血脈が近い人が葬儀委員長になる。葬儀委員長がすべてを取り仕切る。死亡届から霊柩車の手配まで手伝いの人が行う。葬儀が終わってから魚屋などにつけの支払いに行くのだがアイスクリームやたばこなどの代金もあった。それも必要経費の内である。
祖母の葬儀の時には霊柩車が2台来て困った。私は外車の霊柩車を頼んでいたのだが、手伝いの人も別途別の葬儀社に普通の霊柩車を手配していたのだ。手伝いの人はその勤めをしっかり果たしたわけで、葬儀委員長への私の伝え方が悪かったのかもしれない。
遺体が一つなのに霊柩車が2台は必要ない。手伝いの人が頼んだ会社に帰ってもらうように言った。「料金は支払うから帰ってくれ。」と言ったのだがさすがに請求書は来なかった。
今回その折角の使いのある家の方が亡くなった。私の母と観音講の仲間であり、しょっちゅうお茶飲みに来ていた方である。季節になると決まってその方は抱えきれないほどのキュウイと紫の花(ネギ坊主のようなもの)を持ってきていた。それは毎年数十年続いたのである。
昨日、葬儀の手伝いに行ったのだが、霊柩車のクラクションが出発の合図をして火葬場に向かったので合掌して見送った。
その時ふと私の頭に浮かんだ。「ああ、キュウイが火葬場に行ってしまった。」と。
極めて不謹慎であるが、故人を見送る時に食べ物が浮かんだのは初めてのことであり、葬式でこんなこともあるのかと驚いた。
(文責:岩澤信千代)