🗓 2024年04月22日

 日本の私学の歴史はまず慶應義塾が創立され、8年後に同志社が出来て、その8年後に早稲田が出来た。従って、長男は慶應、2男が同志社、3男が早稲田である。

 慶応は先生というのは福沢諭吉だけで教授はさん付である。慶應・同志社に共通するのは校祖を敬っていることである。早稲田のOBは大隈重信を敬ったりしない。福沢諭吉・新島襄は教育者だが、大隈重信は政治家であり俗物の感が強い。三菱財閥と大隈重信が癒着していたのは有名である。だから大隈重信研究会など聞いたことがない。

 であるから、早稲田草創期には同志社出身の教授がゴロゴロしていた。朝河貫一を育てた横井時雄、早稲田野球部の育ての親安部磯雄など。学校経営に手腕を発揮した浮田和民を坪内逍遥は「早稲田の至宝」と呼んだ。

 3男坊を育てるのに2男坊の同志社が力を貸した。長男坊は協力しなかったからよい意味でライバルに現在なっている。借りがあったら「慶應倒せ!」などと神宮球場で大声をはりあげられなかったろう。幸いに慶應とは貸し借りがなかったので同等に戦えるのだ。地方でも両校の親睦は行われている。

 20日の同志社校友会で話題になったのはラグビーである。早稲田の優勝回数は多いが、ある時期同志社と関東学院には苦汁を飲まされていた。正月第一日曜日に大学日本一が国立競技場で開催されるが、しょんぼりして会津に帰るのがつらかった。いつの間にか新幹線代返せと心の中で叫んでいた。大八木など名プレーヤーがいた同志社は強かった。

 今年の決勝戦は帝京だがまざまざと強さを見せつけられた。しばらく苦汁を飲まされるのだろう。ラグビーは期待できず不祥事勃発を期待するのみである。あれだけ強かった関東学院も不祥事勃発で急に勢いがなくなった。こんな浅ましい考えはいけないのは承知の上です。

強い同志社ラグビーの復活を切に期待する。

(文責:岩澤信千代)