🗓 2025年03月13日
赤穂浪士の切腹を5代将軍綱吉は命じたが、荻生徂徠の意見を採用したことが分かった。「義はおのれを潔くするの道にして、法は天下の規矩(きく)なり。礼を以て心を制し、義は以てことを制す。浪士、その主の仇に報ずるは義なりともいえども、その党に限ることなれば私の論なり。いま、侍の礼を以て切腹に処せらるるものならば、彼らが忠義を軽んぜざるの道理、尤も公論というべし。もし、しろんをもって公論を害せば、これ以後、天下の法は立つべからず」
犬公方と言われ「生類憐みの令」を出した徳川綱吉は歴代将軍の内で凡庸と言われてきた。将軍になり立ての頃は英邁だったというが、途中から柳沢吉保など側近に操られ、家臣の妻妾まで手を出す始末。柳沢吉保などは出世のため妻妾を喜んで差し出したという。数十年前に読んだ「歴史と旅」に出ていたので紹介する。当時も気になったと見え赤ボールペンで囲まれてあった。しかしこの処断のおかげで大石内蔵助はじめ赤穂浪士の名前は末代まで残り、泉岳寺の墓には線香の煙が絶えることはない。忠義か国法か。徴兵拒否をして餓死した人物もいる。
(文責:岩澤信千代)