🗓 2025年06月24日

イランに対しイスラエル・米国の攻撃は激しさを増したが、イランは反撃の手を緩めない。米国はイランの宗教指導者の暗殺はさも簡単なように言っているが、体制の転覆は考えていないとも言っている。

1人の指導者を殺しても次の指導者が出てくる。いたちごっこになるだけだ。イランがホルムズ海峡を封鎖をするかが関心事になっている。原油の輸送はホルムズ海峡を通る。日本の石油価格にも影響を与える。軍事力ではイランはイスラエル・アメリカに劣る。それでも戦う。戊辰戦争で「義」のために戦った会津藩のイメージと重なる。強い敵に何故歯向かうのか。西軍は錦の御旗を考え出し日和見の藩を糾合し会津討伐を演出した。天皇制の強い源泉は律令制にある。徳川幕府の禁中御法度により、がんじがらめに縛られたが官位を与える権利を手放さなかった。会津松平は中将まではいった。肥後守という官位ももらった。熊本でないのに何故肥後守なのだ。仙台藩は陸奥守である。

容保は天皇警護に尽力した朝廷を重んじる至誠の人であった。孝明天皇の厚い信頼があった。今早乙女貢の「会津士魂」を読んでいる。何度も何度も繰り返し薩長の暴挙を非難している。早くに奥羽越列藩同盟から離脱した三春・新発田藩を糾弾している。

会津は「義」のために戦った。白虎隊は「義」の象徴君主のために自刃した。太平洋戦争では家族を守るため国を守るため尊い命を投げ出した。

 強い相手に戦うという意味では会津松平藩とイランは同じだが、ユダヤとアラブの戦いは旧約聖書の時代からだ。今アメリカが北朝鮮の核施設を攻撃したらもっと簡単にイラン以上のダメージを与えることができるだろう。北朝鮮はわかりやすい。金一族のための国だ。国民の忠誠心は会津藩士とは違うだろう。恐怖から逃れるために国民は従っているだけだ。会津藩士は三大恩の一つ「君主への恩」のために自ら命を投げ出した。京都(朝廷)の治安を守った守護職容保のために家臣は命を投げ出した。徳川御三家は早々と薩長の手先になったのに

家訓第1条に縛られ判断を誤った。名君保科正之は戦争でなく血統で23万石の太守になったので徳川宗家に忠誠を誓えと家訓に遺した。

養子であるがゆえに容保は初代の遺訓を守り、忠臣西郷頼母の意見を聞かなかった。あぶれ者西郷頼母の家族21人は壮烈な自刃をした。

徳川家康の子供の流れをくむ越前の松平春嶽は容保に悪役に仕立て上げ逃げ切った。幕末の四賢侯だと?

イラン国民の信ずるところは何か。宗教指導者の言うことを素直に聞いてるのは何故か?負けるとわかっていても戦う根拠は何か?会津藩士の戦いと似ていても否なるとものであることは間違いない。

(文責:岩澤信千代)