🗓 2025年08月28日
「ひとり白虎隊」という小説がある。そこには楢崎頼三が護国寺の謹慎所から飯沼貞吉を連れて行ったところから始まる。3.400人もいる捕虜の中で何故貞吉を選抜したのだい?アイドルみたいに美男子だったから?
会津人群像では、捕虜の身代わりを立てて、他藩士の一団にまぎれ込ませたとある。450石の上級武士の息子である。他の会津藩士にとっては貞吉は目立つ。そんなことできるはずはないではないか。猪苗代謹慎者名簿・護国寺謹慎者名簿にはっきりと飯沼時衛・貞吉父子の名前がある。殺されるかもしれないという極限状態で飯沼時衛の思惑に同調する藩士はいなかっただろう。開城後西軍からおにぎりが配られたが毒が入っているのではと飢餓状態であった会津藩士は疑ったくらいだ。捕虜=死と直結する時代だ。
貞吉は静岡の林三郎(幕臣:元会津藩士)の塾に行って、それから後、逓信省技師になっていく履歴ははっきりしている。
林三郎の塾ではのちの海軍大将出羽重遠と一緒であったと、はっきりしている。山口美祢市からどうやって遠い距離を静岡まで来たのだい?楢崎頼三はすでにパリに留学している。誰が旅費の面倒をみたのだい?歩いてきたのか、船で来たのかもわからない。物理的・金銭的に無理だろう。弟関弥は「藻汐草」に護国寺謹慎所から静岡に行ったと書いている。
捏造には無理が生じるのは世の常だ。大阪地検特捜部のように捏造がばれた事件は数多くあるのでご用心。
(文責:岩澤信千代)