🗓 2021年01月30日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

「七草粥」については、『古典歳時記』でその由来を紹介しました。その際、囃子詞には触れなかったので、あらためて取り上げてみることにした次第です。最初に質問です。みなさんは「七草粥」の囃子詞をご存じですか。
 そこで由来というか起源を探ってみると、本来「七草粥」とは別物だったものが、日本で合体して誕生したことが見えてきました。端午の節句にしろ七夕にしろ、複数の行事が合体することは、決して珍しいことではありません。
 古くはやはり中国起源でした。例によって『荊楚歳時記』(6世紀成立)に、正月の夜には鬼鳥が飛び回って災いをもたらすので、各家では槌で戸を叩いて音を出し、また犬に吠えさせて鳥を驚かせ、家に近づかせないようにするとあります。音によって災いを追い払っていたのですが、この時点では七草とは結びついていません。
 それが日本に伝来した後、江戸時代に「七草粥」が広く庶民の年中行事として伝播する中で、「七草粥」と結びついたようです。そのため江戸の文献には「七草粥」と合わせて囃子詞が頻出しています(絵画化もされています)。
たとえば『守貞漫稿』(江戸末期)という風俗の本には、

唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬさきになずな七種はやしてほとと

と紹介されています。こういった囃子詞(鳥追い歌)には本文異同がつきものです。詳しく調べてみると、『桐火桶』という歌論書には、

唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬ先に七草なづな手に摘み入れて亢觜斗張こうしとちょう

と出ていました。

二つを比較すると、「日本の土地へ」が「日本の鳥と」になっています。これについては『五節句稚童講釈』(天保三年)に、唐土の鳥が日本に渡らぬ先にであったものが、「土地」を「鳥」と誤ってしまったと述べています。「唐土の鳥」にしても、「唐土の虎」(遠野物語拾遺)や「かんこの鳥」になっているものもあります。
末尾の「亢觜斗張」は中国の天文用語で、二十八宿の中の四つの星のことです。これを唱えることで、魔除けの効果が期待されたのでしょう。大陸から渡来する鳥が日本に疫病をもたらすとすれば、これは現代の鳥インフルエンザとまったく同じことになります(繰り返し)。なお鳥について、『荊楚歳時記』には「鬼鳥」とありましたが、日本では凶事をもたらす怪鳥「鬼車鳥」とされています。この鳥はなんと頭が九つもあるそうです。
 おそらくこの囃子詞に合わせて、包丁やすりこ木あるいはさじで七草を切ったり叩いたりしたのでしょう。ですから囃子詞のバリエーションとして、「ストトントン」とか「トコトントン」・「トントンばたり」とか様々に伝承されています。ただし『世説故事苑』(正徳六年)によれば、中国で七草を叩く習慣はないそうです。
そういった広がりとは別に、定型化の動きもありました。というのも、七草ですからその一種ごとに7回切ったり叩いたりすると、合計49回になります。前の『桐火桶』は42音ですから、7音足りません。そこでぴったりにするために、最初に「七草なづな」が加えられました。これによって「七草なづな」は2回繰り返されることになりますが、その方がずっとリズミカルになります。
 こうしてもっともオーソドックスな、

七草なずな唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に七草なずな手に摘み入れて亢觜斗張

という49音の囃子詞(七草ばやし)が誕生したのです。この囃子詞が日本でどのように分布しているのか、調べてみるのも面白いと思います。