🗓 2021年02月06日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

節分については前著『古典歳時記』で触れましたが、「鰯の頭」についてはもう少し補足することがあります。というのも「いろはかるた」の中に「鰯のかしらも信心から」ということわざがあるからです。
 これは信仰心の不思議さを皮肉っぽく述べたものですが、それがどうやら節分における「柊鰯」と成立が近いようなのです。試みに古い例を探すと、ことわざの方は俳諧『毛吹草』(一六三八刊)に「いわしのかしらもしんじんから」とあるし、仮名草子『東海道名所記六』(一六五九刊)にも「鰯のかしらも信じからなれども」と出ています。それに対して「柊鰯」は、俳諧『山の井』(一六四八刊)冬・節分に、「いはしのかしらとひらぎのえだを鬼の目つきとてさし出し」とあるし、浮世草子『日本永代蔵』(一六八八刊)にも、「世間並みに鰯の首・柊をさして、目に見えぬ鬼に恐れて心祝ひの豆うちはやしける」とあります。
ここからは推測ですが、どうもこの二つは別々のものではなく、お互いに関連しているのではないでしょうか。つまり節分の日に「鰯の頭」を門に刺すことの説明として、「鰯の頭も信心から」ということわざが発生(誕生)したように思えてなりません。
もちろん反論もあるでしょう。例えば「柊鰯」の歴史はもっと古く、平安時代の『土佐日記』にまで遡れるので、ことわざとの同時発生はありえないといわれそうです。ただし『土佐日記』冒頭の元日条には、「小家の門のしりくべ縄のなよしの頭、柊ら、いかにぞ」とあって、鰯と柊の組み合わせにはなっていません。
ここにある「なよし」というのは、出世魚であるぼらのやや小さめの時の名称です。いずれにしても『土佐日記』に鰯は登場していないことがわかりました。もちろんこれは元日の記事ですから「柊」が元日(節分)に用いられた最も古い例であることに間違いはありません。ひょっとするとその頃は、「鰯」に限らず魚ならなんでも良かったのかもしれません。
もう一例、鎌倉時代成立の『夫木和歌抄』という歌集に藤原為家が詠んだ、

世の中は数ならずともひひらぎの色に出でてもいはじとぞ思ふ

に、「柊」と「鰯」が一緒に詠み込まれているとされているのですが、たとえ「言はじ」に「鰯」が掛けられているとしても、節分との関連が認められそうもないので、この歌を証拠にして遡らせるのは危険です。

 今のところ、江戸時代以前に「柊」と「鰯の頭」が鬼除けとして用いられた確かな資料は見つかっていません。ただし「柊」だけなら、『古事記』のヤマトタケルの東征に柊の木で作った八尋のほこが出ています。要するに「柊」は古くからありましたが、「鰯の頭」が登場するのは江戸時代以降なので、両者がセットで用いられるのも江戸時代以降ということになりそうです。
 ところで「柊」に日本柊と西洋柊(クリスマス・ホーリー)があることはご存じでしょうか。両者の違いは明らかです。日本の「柊」(モクセイ科)の葉は対生で、同じ所から左右に一対の葉が出ます。それに対して西洋柊(モチノキ科)は互生で、互い違いに葉がつきます。両者とも白い花を咲かせますが、モクセイ科の花にはいい香りがあります。また日本の柊には黒っぽい実がつきますが、西洋柊には赤い実がなります。クリスマスのリースに用いられている赤い実がそれです。最近は「支那柊」(チャイニーズ・ホーリー)で代用されることも少なくないとのことです。
「柊」のとげはキリストの受難であり、赤い実はキリストの血に喩えられています。もともと「ひいらぎ」という名の語源は「ひらぐ」という動詞で、意味はとげが刺さるとひりひり疼くことでした。
 最後に「柊」という漢字をよく見てください。木偏に「冬」ですよね。節分との関係からか、冬を代表する木とされていることがわかります。ちなみに『小野篁歌字尽』には、

春椿夏は榎に秋楸冬は柊同じくは桐

と、木偏に四季を合せた漢字が見事に三十一文字の和歌に詠まれています。せっかくですから是非この歌を覚えてください。