🗓 2021年12月25日
吉海 直人
世界中にコロナウィルスが蔓延する中、一年遅れの東京オリンピックがどうにかこうにか開催されました。それに続いて東京パラリンピックも開催されました。パラリンピックは、日本語で「国際身体障害者スポーツ大会」と訳されています。このパラリンピックについては、マスコミも大きく取り上げるようになったことで、知名度もかなり上昇しました。
もともとパラリンピックの始まりは、戦争で脊椎を損傷した軍人のリハビリとして、イギリスの病院で行われた車椅子使用のアーチェリー競技会だったそうです。パラリンピックの「パラ」は英語の「パラプレジア」で、脊椎損傷による下半身麻痺を意味します。そこから徐々に身体障害・視覚障害・知的障害と大きく広がっていきました。
第一回のパラリンピックは、1960年のローマ大会とされています。ただしその時は、まだパラリンピックとは呼ばれていません。1964年に日本で初めて東京オリンピックが開催された際、パラリンピックという名称が用いられるようになりました。「パラ」には平行を意味する「パラレル」もあったことから、「パラリンピック」はもう一つのオリンピックとして、オリンピックと同じ年に開催されるようになったのです。
もっとも当時はまだ二回目ということで規模は小さく、参加国は22か国・参加選手は567人でした。それに対して今回(第16回)は、161か国の選手約4400人にまで増加しています(コロナにより出場を辞退した国もあります)。パラリンピックが成功裡に終ってよかったですね。
さてここまでが予備知識です。ここからいよいよデフリンピックが話題になります。恥ずかしながら私は、デフリンピックについてほとんど何も知りませんでした。「デフ」は英語の「deaf」で、意味は聴覚障害者(耳の不自由な人)のことです。そのことくらいは知っていましたが、聴覚障害者も当然パラリンピックに出場していると思い込んでいました。ところがよくよく調べてみると、パラリンピックに聴覚障害者用の競技種目はないし、参加選手もいないことがわかって驚きました。
何故、パラリンピックに聴覚障害者が含まれていないのでしょうか。その理由は大きく二つあります。一つは、デフリンピックの方がパラリンピックよりずっと歴史が古いということです。第一回大会は、1924年にパリで開催されています。また冬季大会も行われており、こちらは一九四九年にオーストリアのゼーフェルトで第一回大会が開催されています。要するにパラリンピック以前から、障害者スポーツとしてデフリンピックが行われていたということです。
遅れて国際パラリンピック委員会が1989年に発足した時、国際ろう者スポーツ委員会もそれに加盟しましたが、コミュニケーションの取り方に違いがあること、またデフリンピックの独創性を維持するという理由で、1995年に委員会から離脱しました。後発のパラリンピックに参加・合体するのではなく、伝統あるデフリンピックを継承する道を選んだというわけです。もちろんこれも立派なもう一つのオリンピックでした。
ただしパラリンピックは日本で既に開催されているのに、それより歴史のあるデフリンピックは、今まで一度も日本で開催されたことがありません。アジアでは、2009年に台湾で第21回大会が開催されているだけで、中国でも韓国でもまだ開催されていません。オリンピックと連動していないこともあって、デフリンピックの知名度は日本ではまだまだ低いのではないでしょうか。
最後に、私が少しだけ関わったことについて報告します。それは表彰式において国歌が斉唱されることです。パラリンピックでは普通に演奏されていますが、聴覚障害者となると話は別ですよね。普通ならここで手話が登場するところですが、これまで君が代の手話は統一されたものがありませんでした。そのためデフリンピックの金メダリストたちは、各自私的な手話で対応していたとのことです。
さすがにそのままにはしておけないということで、スポーツ庁が動き、全日本ろうあ連盟が主体となって、ようやく君が代の手話の試作が行われました。私は手話にはうといのですが、古典文学研究者ということで、検討部会の委員として会議に出席し、その完成を見届けました。そしてまたうかつにも(無知にも)、パラリンピックの表彰式でこの手話が披露されるものとばかり思っていたのです。その勘違いに気づいたので、反省をこめてこのコラムを書いたというわけです。
なお次のデフリンピックは、今年の12月にブラジルで行われる予定でしたが、やはりコロナのために2022年5月に延期されました。手話の君が代は、来年のお楽しみとなったのです。みなさんもぜひデフリンピックを応援してくださいね。