🗓 2021年12月18日
吉海 直人
日本で流通しているコインには、五百円・百円・五十円・十円・五円・一円の六種類があります。もちろんそれらは同時に発行されたのではありません。それぞれに作られた年が違うし、原料もサイズも異なります。またできた後に改訂されているものもあります。今回はそういったコインの不思議に分け入ってみましょう。
若い方は知らないでしょうが、五百円や百円は、ちょっと前までコインではなくお札(紙幣)でした。その五百円札には二種類ありました。どちらも岩倉具視ですが、昭和26年から46年まで発行されたものは、裏の富士山が右側にあります。それに対して昭和44年から平成6年まで発行された五百円は、富士山が左側になっています。昭和57年に五百円硬貨が発行されたことで、五百円札は徐々に姿を消していきました。
昭和57年に発行された五百円玉は、平成12年まで流通しています。ところが、途中で韓国の五百ウォン硬貨(五十円程の価値)を使った自動販売機を通す偽造コインが大量に出回ったため、平成12年に偽造されない新五百円硬貨に造り替えられました。それが現在の五百円玉です。ただし新五百円硬貨が発行されましたね。
昭和28年から昭和49年まで流通していたのが、板垣退助の百円札です。それ以前、昭和21年から31年までは聖徳太子の百円札でしたが、ほとんどの人は見たことないですよね。昭和32年に百円硬貨が発行された後も、引き続きお札も並行して使われていましたが、インフレが進んだこと、自動販売機が流通したことなどで、徐々に姿を消していきました。
なお昭和32年から41年まで、百円玉は銀貨でしたが、昭和42年に白銅貨に変更になりました。ですから百円銀貨なんて見たことのない人も多いですよね。その銀貨にも二種類あって、昭和32年と33年のデザインは鳳凰でした。それが34年に菊に変更されています。今の百円玉は桜ですよね。
五十円硬貨はもっとも変遷の激しいものでした。最初に登場したのは、穴なしの五十円硬貨です。昭和30年から33年までという短命なコインでした。というのも、直径が25ミリと大型で、22、6ミリの百円銀貨よりも大きかったのです。そこで間違うことを防ぐために、昭和34年に穴あきに改良されます。それが昭和41年まで使われました。ところが百円玉が銀貨から白銅貨になるということで、それに連動して百円玉より小さな五十円玉(21ミリ)に変更されたのです。それが現行の五十円玉です。
ついでながら、大きな旧五十円硬貨は磁石にくっつきました。それは原料が百パーセントニッケルだったからです。それが白銅に替えられたことで、磁石にくっつかなくなりました。現在、磁石にくっつくコインは、日本では製造されていません。
続いて十円玉です。十円玉は昭和26年に製造され、翌年から流通しています。昭和33年までのものは、俗に「ギザ十」と称されているように、縁に132本のギザが施されています(昭和31年のみ未発行)。このギザは原則最高額のコインに施されるものでした。ですから現在は五百円硬貨に斜めのギザが施されています。それ以前は百円玉に施されていました。その前が五十円、そしてその前が十円だったのです。
ところが昭和三十年に五十円玉、三十二年に百円玉が発行されたことで、遂にギザのない十円玉が昭和34年に発行されました。それもあって、ギザのある十円玉が「ギザ十」としてマニアに愛好されているというわけです。もちろん単にギザの有無だけではありません。デザインの変更と相俟って、「ギザ十」の人気が高まったのです。
十円玉の表には平等院鳳凰堂がデザインされていますね。なおコインの表裏は、誤解している人が多いようですが、造幣局では元号のある方が裏と表明しています。ですから鳳凰堂のある方が表なのです。小さくてよく見えませんが、鳳凰堂の上に載っている鳳凰にオスメスがあると聞いたことありませんか。昔はかなり噂になっていました。
もっともこれは「ギザ十」だけの話です。現在の鳳凰は尾が垂れていますが、大半の「ギザ十」は尾が垂れていないのです。もちろん垂れているのがオスで、垂れていないのがメスです。昭和26年のはひよこのように見えます。27年のにはオスとメス二種類あります。しかも左右が対象ではないので、メスのコイン・オスのコインだけでなく、オスメス向き合っているように見えるものもあるのです。ただし長く使われてきたことでかなり摩耗しているので、きれいなものでないとわかりにくいかもしれません。
多くの人が「ギザ十」に目を向けている時、ごく一部のマニアは、昭和61年後半の十円玉に密かに目を向けていました。どうしてかというと、その年に鳳凰堂の屋根と階段の一部にデザインの違いが認められるからです。しかも発行枚数が極端に少ないので、「ギザ十」よりも高値で取引されているとのことです。調べてみる価値はありますよ。
五円玉にも三種類あります。昭和23年、24年のものは穴がなく、国会議事堂がデザインされています。またギザもついていました。これは見たことのない人が多いかと思います。次に昭和24年に穴の開いた五円玉が出ました。これは一円銅貨と区別するためと、穴の分だけ材料費を節約できるからといわれています。昭和33年に廃止され、34年に新五円玉が発行されました。デザインはほとんど変わりませんが、表の「五円」が楷書体からゴチック体に変更になっています。また裏の日本国の「国」が、旧字体から新字体になっているので、見れば違いがすぐにわかります。
最後は一円玉の変遷です。最初は昭和23年に黄銅貨として発行されましたが、原料費の高騰で鋳潰される恐れが発生したので、昭和28年に製造中止になりました。2年の空白を置いて、昭和30年に五十円硬貨と同時に新一円玉が発行されました。これはアルミニウム製なので、表面張力で水に浮くコインと称されています。また最小コインなので、「お前の顔は一円玉」という表現も流行しました。これ以上崩せないということです。ついでですが、一円玉の直径は2センチで、重量は1グラムなので、うまく使うと寸法や重さを測ることができます。
私が何故硬貨に詳しいかというと、実は若い頃にコインを収集していたからです。もっとも最近は電子マネーが急速に広まっているので、いずれ少額コインは使われなくなるかもしれませんね。ちなみに一円玉を作るためのコストは、なんと三円もかかるといわれています。だから偽コインが作られないのです。というより、製造されなくなればかなりの費用が浮くことになります。