🗓 2025年08月16日
吉海 直人
みなさん「ユニフォーム」と聞いたら何を思い浮かべますか。最近はサッカーや野球などが有名ですが、昔は軍隊・セーラー服・看護師・医師・警察官・消防士・パイロット・宗教者・企業の事務服・コンパニオンなどなど、至るところにユニフォームが溢れていました。それは身だしなみを整えることや、仲間意識を大切にする国民性が関係しているからです。
横文字の「ユニフォーム」は制服と訳されていますね。もともとはラテン語だったようですが、「ユニ」は一つのという意味で「フォーム」は形ですね。要するに同じ形の服装ということになります。それを着用して同じ格好をすることで、一致団結の意識が強まるとされたのでしょう。
これに類することは、日本では聖徳太子の時代からあったとされています。それは「冠位十二階」とも呼ばれているもので、身分によって異なる色の服が使われていました。着ている色で、どの身分に属しているのかが一目で分かるわけです。当然、これらは上からのお仕着せ(支給)でした。下位の者にしてみれば、上位の色を着ることに躍起になったことでしょう。平安時代の女房装束(十二単)もユニフォームの一種でした。いわゆる奉公服(押し着せ)です。
その後、身分だけでなく職掌によっても、すぐにそれとわかるものが用いられるようになりました。例えば江戸の町火消は有名ですね。ただし単なる衣装の統一だけでなく、燃えにくい素材が用いられているなどの機能性も重視されています。一つの目的でまとまった集団・団体などに属していることが、ユニフォームで一目瞭然なのです。
特にスポーツでは、激しいプレイから体を守る防護服の役目もあったので、それが踏まえられて現在の野球やサッカーのユニフォームが作られたといえます。もっともかつては機能性が重視されていたので、地味なものが多かったのも事実です。
野球のユニフォームが最初に登場したのは、1849年4月に行われた試合で、「ニューヨーク・ニッカボッカーズ」というチームが、選手全員同じものを着用して試合に臨んだ時とされています。しかし、これは今のような服装ではなく、麦わら帽子を被っていたということです。その後、1867年に「シンシナティ・レッドストッキングス」というチームがプロ野球チームとして初めて誕生した際、その時に着ていたものが現在のユニフォームの起源とされています。
なおオリンピックやワールドカップでは、国の代表として出場することで、国旗などその国の特徴が反映されたものが目に付きます。また対戦相手と色が被らないような配慮も求められています。最近の技術向上を受けて、素材が競技に影響を及ぼすこともあるので、多くの団体競技では規定上で統一された服装が求められています。
「白衣の天使」とも称された看護婦の白衣の起源は、ナイチンゲールでした。彼女は公衆衛生を重視し、彼女の看護学校で清潔さを意識した長袖のワンピースに白いエプロンを重ね、白いナースキャップを使用したのです。日本では、日中戦争が勃発した1937年、日本赤十字社が救護看護婦を派遣した際、全身に真っ白のワンピース型ユニフォームを着せたのが白衣の始まりとされています。
もっとも最近の医学では、白色には補色の悪影響があることがわかりました。また白は患者の方にストレスを与え、血圧が上昇することが報告されたことで、薄い青系統のものに取り換えられています。
かつて制服は、貧富の差なく、学べることの象徴とされたこともあります。それも一理ありますが、最近は学生服にしてもファッション性(おしゃれ)が重視されたデザインが目を引きます。万博のコンパニオンのように、みんながあこがれるファッション、誇りをもって着用できる衣装にシフトしつつあります。私立学校(特に女子校)は、着てみたいというユニフォームのカッコよさで受験生を集めています。同じユニフォームでも他との差異化が図られているわけです。
教育の現場におけるユニフォームは、かつての軍国主義における思想統制や一致団結がそのまま継承されている恐れがあります。また帰属意識を高めるための手段という一面も否定できません。それは場合によっては生徒の多様性を排除しかねないので、特に公立学校では制服を廃止しているところも少なくありません。制服には功罪両面があることも事実なのです。それを踏まえて、ユニフォームの必要性を徹底的に議論した上で、納得して活用するのがベストです。もはやユニフォームはお仕着せであってはならないのです。