🗓 2023年09月16日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

街路樹によく植えられる木として、ケヤキ・イチョウ・プラタナスなどがあげられます。この中で一番新しいのがプラタナスでした。というのも明治以降に輸入された木だからです。それに対してケヤキは樹齢千年を超す大木があります。イチョウにしても八百年前からありますから、プラタナスとは比較になりません。
ただし西洋において、プラタナスは世界四大街路樹の1つに数えられているほど有名でした。なお他の3つは、ニレ・ボダイジュ(シナノキ)・マロニエです。おそらく日本はそれを踏襲して積極的にプラタナスを取り入れたのでしょう。
そのプラタナスに、「鈴懸」という和名が付けられました。これは枝ぶりが修験道の山伏が着用している「篠懸衣」に似ていたことで命名されたものです。最初は「篠」でしたが、その実が山伏の付けている球形の房に似ていたことから、いつしか「鈴懸」と表記されるようになったようです。
もともと明治以降に入ってきた木ですから、古典文学に登場するはずはありません。ただし山伏の「篠懸衣」ならば、

み吉野の苔路を伝ふ山伏の篠懸衣露に濡れつつ(新撰六帖)
幾かへり行き来の嶺のそみかくだ篠懸衣着つつなれけん(金槐和歌集)

などと詠まれています。「そみかくだ」は山伏のことです。

近代文学を見渡してみると、夏目漱石の『草枕』に「旅の衣は鈴懸の」と引用されていました。同じ文句が『硝子戸の中』にも用いられています。ただしこれは歌舞伎の『勧進帳』の一説を口ずさんだものです。さらに遡れば謡曲『安宅』に辿り着きます。同じ引用は泉鏡花の『婦系図』にもありました。
芥川龍之介は鈴懸が気に入っていたのか、『路上』にも「鈴懸の並木を照らしている街灯」とあります。また『侏儒の言葉』にも「鈴懸を黄ばませる秋風と共に」とあり、『白』にも「公園の中には鈴懸の若葉にかすかな風が渡っています」と書いています。さらに『或阿呆の一生』には「市場のまん中には篠懸が一本」とあり、『神神の微笑』には「径を挟んだ篠懸の若葉に、うっすりと漂って」とあり、『東京の秋』では「路の左右に枝をさしかはした篠懸」とあるし、『毛利先生』には、「並木の柳や篠懸などが、とうに黄いろい葉をふるっていた」とあるし、『上海游記』にも「若葉を出した篠懸の間に」とあり、『都会で』にも「並み木に多いのは篠懸である」と書いています。これだけ鈴懸をたくさん引用している作者は他に見当たりません。
梶井基次郎の『雪後』には「篠懸が木に褐色の実を乾かした」とありました。その他、谷崎純一郎の『卍』には、「あしたはいつもの運動場のプラタナスの下に立っています」と書いているし、「篠懸の花咲く下に珈琲店かっふぇかな」という俳句まで詠んでいます。さすがに宮沢賢治はハイカラなので、『銀河鉄道の夜』に、「電気会社の前の六本のプラタナス」と書いています。
ところで日本に植えられているプラタナスには、大きく3種類があります。1つは単なるスズカケノキ、もう1つはアメリカスズカケノキ、そして3つ目がモミジバスズカケノキです。このうち日本で一番ポピュラーなのはモミジバスズカケノキです。新宿御苑のプラタナスもこれでした。それらの総称としてプラタナスと称されているわけです。
このモミジバスズカケノキは、スズカケノキとアメリカスズカケノキの交配種とされています。それが日本の風土に一番よく適合したのか、全国に植樹されました。もちろんスズカケノキもアメリカスズカケノキも皆無ではありません。小石川植物園に行くと、3種類みんな見ることができます。