🗓 2024年06月15日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

日本語の接頭語「お」や「ご」は、普通には敬語(尊敬・丁寧)として扱われていますが、どうもそれだけでは済みそうもありません。もともとは「御」という漢字の訓読なので、敬語であることは否定できませんが、敬語というだけでは説明のつかない事例があるからです。それが言葉の面白さ(言語遊戯)です。
 例えば「にぎり」と「おにぎり」はどうでしょうか。本来は「握り飯」を女房詞で「お握り」と称したのでしょうが、現在では「にぎり」が寿司の意味に限定されてしまったことで、「にぎり」と「おにぎり」では質というか値段に大きな差が生じています(糸井通浩氏『谷間の想像力』参照)。敬語のついた「おにぎり」の方が安価なのはいうまでもありません。
 こういった面白い例は、探せば他にもいろいろ出てきます。糸井氏は他に「ふくろ」と「おふくろ」、「ひや」と「おひや」、「しゃれ」と「おしゃれ」、「はこ」と「おはこ」、「めでたい」と「おめでたい」などもあげておられます。確かに「袋」に「お」を付けると、「袋」の丁寧語ではなく、母親の意味(おふくろ)に変容してしまいますね。もっとも母親は、胎内に子袋を持っていることから、そう称するようになったという説明もできなくはありません。
 「ひや」は水以外に酒にも汗にも使いますが、特に「冷や水」(年寄りの冷や水)のことを「おひや」というようになると、「ひや」の方は「冷や酒」に限定使用されるようになりました。また「しゃれ」(洒落)というのは、本来垢抜けていたり気が利いていることを指す言葉でした。それが「おしゃれ」になると、服装や髪型など目に見えるものに対して限定的に使われるようになったことから、いつしか意味の違いとして認識されるようになっています。
 これに近いものとして、「めだま」と「おめだま」もあげられます。もとは同じ意味なのでしょうが、「おめだま(を食う)」となると目上の人から叱られる意味になります。「めがね」と「おめがね」にしても、「おめがね(に叶う)」は目上の人に気に入られる意味が派生しています。「やつ」と「おやつ」はともに時刻(八つ時=午後三時)を表わす言葉でしたが、その時刻に間食したことから、「おやつ」はお菓子を食べる意味になっています。「なら(奈良)」と「おなら」(鳴らすから?)も随分違いますね。これなど、「お」を付けることで下品になるのを防いでいるのかもしれません。
 次の「はこ」は箱のことですが、「おはこ」というのはいわゆる十八番で、その人の最も得意な芸のことをいいます。これも大きな違いですね。同様に「めでたい」にしても普通に使う言葉ですが、「おめでたい」となると皮肉交じりの表現というか、相手を馬鹿にしたように聞こえることもあるので、使い方には気をつけた方がよさそうです。この場合の「お」はもはや敬語としては機能していません。「チョコ」に「お」を付けると「お猪口」ですから、これも大きく違いますよね。「かわり」に「お」をつけると「おかわり」になって、これも意味が違いますね。こう考えると、もっとたくさん例が出せそうです。
 言語遊戯的に考えると、「野次」に「お」を付けると「親父」(おやじ)に変化します。また「倒産」に「お」を付けても、「お父さん」というまったく別の意味になります。「鳥」に「お」を付けると「囮」(おとり)になり、「数」に「お」を付けると「おかず」になるし、「着物」に「お」を付けるとたちまち「置物」に変ります。「かき」はそのままでも「柿」「牡蠣」「垣」「下記」「夏季」「花器」などの同音異義語がたくさんあります。これに「お」をつけると、さらに「おかき」に変化します。これは日本語の特徴でしょうね。その他、「しつけ」と「おしつけ」、「もり」と「おもり」もあります。
 なお落語などでは、「とこ」と「おとこ」の違いがネタにされていました。「とこをとる」とは蒲団を敷くことですが、ある旅館で外国の女性客に対して「おとこをとりましょうか」といったところ、「とこ」の丁寧な言い方とは受け止められず、「男を取る」と勘違いして「結構です」(ノーサンキュー)と答えたという笑い話があります。「お」があるかないかでこんなに意味が変わるのです。みなさんも何かいい例を見つけてみてください。