🗓 2024年06月22日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

日本の国花というのは、今のところ法的には定められていません。ただし皇室の紋章である菊と。国民に広く親しまれている桜の二つが、事実上国花として扱われてきました。そのうちの桜に関しては、品種・開花時期・規模などさまざまな観点から評価された上、名所とされる場所が日本各地に点在しています。みなさんの地元にも、桜の名所とされている場所がありますよね。その多くは、川沿いの土手か城址に集中しているようです。
 というのも、現在のような桜の名所が各地に誕生したのは、明治以降に意図的に植樹されるようになってからだからです。その名所では、毎年桜祭りが開催されていますね。東京の上野公園や千鳥ヶ淵は特に有名です。大阪造幣局の通り抜けも人気スポットの一つとなっています。
 植樹ということでは、吉野の桜が一番古いかもしれません。次に有名なのは、豊臣秀吉が主催した醍醐の花見の折、醍醐寺近辺に700本もの桜が植樹されたことでしょう。そのため醍醐寺は、「花の醍醐」と称される桜の名所となりました。桜の品種に関しては、古くは山桜が主流でしたが、明治期にかけてソメイヨシノが全国に植えられたことで、主流の座を奪っています。そのため、桜の開花時期を定める標本木にまでなっています。最近は品種が豊富になったこともあって、早咲きから遅咲きまで長く楽しめるようになりました。
 ここでちょっとややこしい話をさせてもらいます。みなさんは「日本三大桜」をご存じですか、というより三つともあげられますか。これは山梨県の山高神代桜、岐阜県の根尾谷薄墨桜、福島県の三春滝桜のことです。大正時代に国の天然記念物に指定されたものの中で、幹回りが9メートル以上、樹齢が推定千年を越すものが選ばれました。いわば長寿のベストスリーです。それに樹齢推定八百年の埼玉県の石戸蒲桜、静岡県の狩宿の下馬桜を加えて「日本五大桜」と称することもあります。
 これで済めば何事もなかったのですが、一本の桜の樹齢とは別に、総合的な桜の名所として「日本三大桜の名所」が登場したことで、やや混乱が生じてしまいました。それは青森県の弘前公園、長野県の高遠城址公園、奈良県の吉野山のこととされています。吉野の桜は下千本・中千本・上千本と分かれており、標高差によって長く桜を楽しめます。全体の本数はシロヤマザクラを中心に、なんと3万本ともいわれており、堂々日本最大の桜の名所といえます。それに続くのが山梨県富士吉田口登山道中ノ茶屋近辺の2万本のフジザクラ、同じく埼玉県狭山丘陵近辺の2万本の桜です。
 弘前公園は弘前城址公園で、明治15年にソメイヨノ千本が植えられて以来、何度も植樹が繰り返されており、現在は2600本にまで増えています。弘前公園で特筆すべきは、明治期に植えられた樹齢140年のソメイヨシノが現在も健在だということです。中には幹回りが5メートルを超すものまであります。ソメイヨシノは短命の桜ですが、ひょっとすると寒冷地のソメイヨシノは寿命が普通よりも長いのかもしれません。
 三つ目の高遠城址公園の桜が今日の本命です。というのもコヒガンザクラという特別な桜の固有種が1500本植えられているからです。明治8年頃、荒れ果てたまま放置されていた高遠城址を見るに忍びず、旧藩士たちを中心に桜の移植と公園の整備が行われました。もともと高遠藩の馬場は桜の馬場として有名だったそうです。その馬場の桜を城址に植樹したことで、ここはソメイヨシノではない桜になったわけです。花はソメイヨシノよりも小ぶりなので「小彼岸桜」と漢字を当てたり、やや赤みのあるきれいな花を咲かせることで、濃彼岸桜と表記されることもあります。
 平成2年4月、高遠で国際さくらシンポジウムが開催された際に品種の調査が行われ、エドヒガンザクラとマメザクラの交配種であることが判明しました。この交配種の中ではもっとも美しいとされたことで、高遠固有の品種として「タカトオコヒガンザクラ」と命名されることになったのです。なおヒガンザクラは早咲きで、彼岸の頃に咲くことから命名されました。
 さてここで質問です。みなさんは会津若松市と長野の高遠町との深いつながりをご存じですか。実は高遠藩主保科正光は、徳川秀忠の隠し子(後の保科正之)を密かに預かって養育していました。この正之が後に会津藩主となったという縁で、会津若松市と高遠町は平成12年に親善交流都市(姉妹都市)の締結を行いました。平成18年に高遠町は伊那市に合併されましたが、高遠町が消滅した後も伊那市と交流を続けてきました。
 そういった経緯もあって、このたび伊那市からタカトオコヒガンザクラの若木が大龍寺に寄贈されました。その桜が新島八重顕彰祭の日に大龍寺に植樹されました。来年の開花を今から楽しみにしています。