🗓 2024年06月29日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

みなさんは「南無阿弥陀仏」という仏教用語を口にしたことがありますよね。これは浄土宗や浄土真宗で頻繁に唱えられている六字名号です。この言葉には「阿弥陀仏様にすべてを委ねます」という帰依の気持ちが込められています。平安時代の空也上人の歌として、

ひとたびも南無阿彌陀仏といふ人の蓮の上にのぼらぬはなし(拾遺集1344番)

も伝わっています。

古くは「南無」の「む」を「も」と発音し、「なもあみだぶつ」と発音していたとされています(『堤中納言物語』虫めづる姫君)。現在では「無」を「ん」と発音して「なんまんだぶ」「なんまいだ」「なまんだぶ」などと称えています。それに対して日蓮宗では「南無妙法蓮華経」と唱えていますよね。
 ところでこの「阿弥」は時宗の法号としても用いられており、能楽の「観阿弥」「世阿弥」や同朋衆の「能阿弥」「相阿弥」、書家の「本阿弥光悦」などの名として知られています。また『徒然草』89段(猫また)には、「何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師」のことが描かれています。
 そもも「阿弥陀」は阿弥陀三尊として知られていました。法隆寺の阿弥陀三尊像は有名ですよね。これは仏像の安置形式の一種です。中央に阿弥陀如来が安置され、その左右に脇侍として観音菩薩(左)と勢至菩薩(右)が配されています。これでお分かりのように、仏像には位による順序があり、如来・菩薩・明王・天に分類されています。極楽でも平等ではないのです。その頂点たる阿弥陀如来が中央なのです。それとは別に、阿弥陀には来世の極楽往生を祈願し、観音には現世利益を祈願するという使い分けもあります。
 ところでみなさん、集合写真を撮る際にカメラマンから「帽子は阿弥陀にかぶってください」といわれたことはありませんか。ところがその意味がわからず、帽子を横にしたり深々とかぶったりする人も少なくありません。帽子を「阿弥陀にかぶる」というのは、仏教の阿弥陀像の光背(後光)のように、幅広の帽子を後ろに傾けて、顔全体がカメラに写るようにすることです。
 ただし「阿弥陀にかぶる」という言い方は、(内田魯庵著落紅(1899年)があがっており、その初出は明治以降ということになります。江戸時代のものとしては、帽子ではなく「阿弥陀笠」(俳諧犬子集・1633年)が一番古い言い方のようです。これも笠の前を上げてかぶることです。あるいは「阿弥陀かぶり」という言い方なら江戸時代の用例(狂文四方のあか・1787年)があります。
 その反対に、帽子を深々とかぶるのは「目深(まぶか)」と言います。これは既に室町時代の日葡辞書に出ているので、「阿弥陀かぶり」よりもずっと早いことになります。それはさておき、現在は日常生活が阿弥陀信仰から縁遠くなっているので、もはや「阿弥陀にかぶる」も死語化してしまったのでしょう。
 もう一つ、「阿弥陀くじ」という言葉も意味がわかりにくくなっています。もちろん現在も「阿弥陀くじ」は生活の中で使われていますよね。紙に人数分の縦線を平行に引いて、各自横線を入れてはしご状にしたくじのことです。その一端には当たりとかはずれとか書いて、紙を折って隠し、もう一端をみんなに選ばせます。でもそれがどうして「阿弥陀くじ」なのかおわかりでしょうか。
 どうやら現在の「阿弥陀くじ」は、明治以降に変化したもののようです。早い例としては、石川啄木著『病院の窓』(1908年)があげられます。思ったより新しいものでした。それとは別に、「阿弥陀くじ」の歴史を調べてみると、室町時代までの「阿弥陀くじ」は、円の中心に向かって放射線状に引かれたものとされています。それが阿弥陀様の光背に似ていたことから、「阿弥陀くじ」といわれたのです。
 古い例があげられていないのに、どうして歴史はこんなに古いのでしょうか。その答えは、「阿弥陀くじ」以前には「阿弥陀の光」と称されていたからです。これなら『言継卿記』大永七年(1527年)五月二五日条に見える「阿弥陀光也」が初出とされており、確かに室町時代まで遡ることができます。この「阿弥陀くじ」は便利で実用的な決め方ですが、もはや信仰心が薄れてしまったことで、「阿弥陀」の意味が曖昧になってしまったのでしょう。
 ところでことわざに、「阿弥陀の光も金次第」とか「阿弥陀も銭ほど光る」があります。「阿弥陀の光」とは阿弥陀如来の御利益のこととされています。その阿弥陀様の御利益も賽銭の多寡で決まるという意味です。阿弥陀様でも金の威光には負けるのでしょうか。