🗓 2025年02月15日
吉海 直人
みなさんは国語と日本語の違いがわかりますか。そもそも同志社女子大学の日本語日本文学科は、旧来の国文学や国語国文学ではなく、国際社会を意識した日本語日本文学を学科名として選び取っています(同志社大学や京都女子大学は国文学科です)。その大きな柱は「日本語教育」、つまり外国人に日本語を教える教師の育成でした。
そこで最初にひっかかるのは、日本語教育と国語教育の違いです。国語教育というのは、日本国内の小中高で、日本語を母語とする子供たちに国語という科目を教えることです。そのためには国語の教員免許を取得しなければなりません。それに対して日本語教育は、日本語を母語としない外国人に効率よく日本語を教えることが主眼となっています。これには教員免許がない(いらない)代わりに、日本語教育能力検定試験に合格するか、あるいは日本語教師養成課程を習得する必要があります(近々国家資格になるそうです)。
要するに同じく教師でも、小中高において日本語を母語とする日本人(ネイティブ)に教えるのか、日本語学校などで日本語を母国語としない外国人(ネイティブ以外)に教えるのかの違いがあります(含帰国子女)。簡単に言えば、英語教師のように外国語としての日本語を教えるわけです。これで少しは日本語と国語の違いがおわかりになりましたか。似たようなものに国史と日本史がありますが、こちらは早々と日本史に統一されています。
ついでながら、もう一つ大事なことがあります。国語や英語の教師は、自身が教わってきた授業の体験があります。それに対して日本語教育は、当然ながら自身の体験がない場合がほとんどです。日本語はしゃべれるので、日本語を正式に教わる必要がなかったからです。そこに日本語教師と外国人学習者との溝や摩擦のようなものが生じる要素が潜んでいるのでしょう。
改めて両者の違いを辞書的に説明すると、日本語というのは英語とか中国語というように、その国固有の言語のことです。それに対して国語は、各国の言葉がその国の国語になります。イギリス人にとっては英語が国語というわけです。ですから日本では日本語が国語と重なることになります。ただしぴったり一致するわけではありません。普通に日本語と言えば、現在日常生活で使われている言葉(主に話し言葉)という意味合いが強いからです。
それに対して国語は、古い時代の言葉までカバー(網羅)しています。ですから日本語学といったら、古くても明治以降が対象となるのに対して、国語学といったら当然のように上代語まで含まれます。日本語の場合、『万葉集』や『源氏物語』にまで遡る必要はないのです。それもあって、国語ではいわゆる学校文法を教えますが、日本語ではもっと実用的な日本語教育文法になっています。い形容詞・な形容詞(形容動詞)などがその例です。
それどころか、かつては書き言葉で書かれた近代文学など、日本語学の対象とはなっていませんでした。そのかわり、他の言語(外国語)との比較が積極的に行われました。もっとも最近では、青空文庫のような検索に便利なものがあるためか、話し言葉とは異質である小説の例までも、あたりまえのように論文に例文として引用されるようになっています。これは許容されるのでしょうか。
ここで国語についての大事なポイントを押さえておきましょう。そもそも国語は、明治以降日本全体に通用する標準語のことを指していました。それについては井上ひさしの『国語元年』という作品をご覧下さい。江戸時代までの日本は全国の各藩がそれぞれ国を形成しており、その中で生活が完結していたため、強い方言がまかり通っていました。ところが明治になって藩がなくなり、日本が一つの国家となったことで、全国で通用する標準語が要請されました。その標準語の教育が現在の国語教育の原点というわけです。出発点における国語は、辞書的な説明とは違う使われ方をしていたのです。
それとは別に、法律用語としての日本語と国語は、今もってきちんと使い分けられていません。その証拠に「国語に通じない」(刑事訴訟法)と「日本語に通じない」(民事訴訟法)など統一されることなく使われていることがあげられます。なお文化庁では、国語課の下に日本語教育関連事業がぶら下がっています。