🗓 2025年02月22日
吉海 直人
みなさんは日常の中で、「足らない」なのか「足りない」なのか迷ったことはありませんか。ではどちらが正しいと思いますか。あるいはどう違うのかおわかりですか。
この疑問、文法的にはきちんと説明がつきます。「足りない」は「足りる」という上一段活用動詞の否定形です。それに対して「足らない」は「足る」という五段活用動詞の否定形ですから、そもそも活用が違っていたのです。では意味の違いはあるのでしょうか。
これを時間的に俯瞰すると、歴史的な変遷というか違いがわかります。「足る」と「足りる」で既にお気づきの方もいるかと思いますが、「足る」は『万葉集』に用いられている古い言葉でした(古語)。一方の「足りる」は近代語ではないものの、江戸時代以降の用例しかないので、比較的新しく用いられるようになった言葉といえます。要するに「足る」は古風な言い方であり、「足りる」は現代的な言い方ということになります。
その「足る」と「足りる」の否定形ですから、当然「足らない」と「足りない」にも同様のことが言えます。ということで、どちらが正しいかというと、どちらも正しいということになります。強いて言えば現代においては圧倒的に「足りない」という人が多いようです。ただしすべてがそれで説明できるわけではありません。
たとえば「ない」ではなく「ず」と結びつくと、「舌足らず」「寸足らず」「一時間足らず」「百メートル足らず」「言葉足らず」に固定されてしまいます。「舌足りず」「寸足りず」「一時間足りず」とはいいません。これは「ず」がやはり古い言葉なので、必然的に古い「足らず」と強固に結びついているからのようです。俳句や和歌の用法として、「字余り・字足らず」がありますが、これも「字足らず」以外の言い方は認められていません。
もう一つ「足らぬ」という言い方も残っています。ただし現在では、「取るに足らぬ」だけでなく「取るに足りない」でも十分通用しているようです。次第に古い言い方は消えていき、新しい言い方に置き換えられていっているのでしょう。同様のことは「事足らない・事足りない」「物足らない・物足りない」「語るに足らず・語るに足りない」「言うに足らず・言うに足りない」などにもあてはまります。
ではそれを漢字で「不足」と書いたら、この場合は「足らず」のことでしょうか「足りず」のことでしょうか。これも決め手はなさそうなので、どっちでもいいとしか答えられません。ただこれを接尾語にすると、
という限定用法になります。その他、「手不足」というのは囲碁用語のようですが、これは「手が足りない」とはいっても「手が足らない」とはいわないようです。
では「役不足」はいかがでしょうか。これは本来演劇用語ですが、誤解されることの多い言葉の一つにあげられています。もともとは演劇において、俳優が与えられた役に不満を持つことでした。そこから転じて、その役職が本人に不相応な程軽いものとして用いられました。ところがそれが、いつしか自分の実力を過大に評価されたことに対する謙遜と誤解されて使われるようになったのです。
文化庁が行っている2002年度の国語に関する世論調査によれば、これを正しい意味で認識している人は全体の27パーセントしかいませんでした。それがマスコミで話題になったことで、2006年度の正解率は40パーセント、2013年度には42パーセントにまで上昇しているとのことです。ただしそれでも不正解率は50パーセントを超えているので、正解を10パーセントも超えています。謙遜として使いたいのなら「力不足」「力量不足」です。最近は新たに「役者不足」という言いかたも定着しつつあります。相手を不快にしかねないので、用法には十分注意してくださいね。