🗓 2019年08月17日

「新島八重顕彰会」発足に寄せて

同志社女子大学 吉海直人

元号が令和に改まった2019年、「新島八重顕彰会」が発足する運びとなった。新島八重とは、既に御承知であろうが、会津藩士の娘(山本覚馬の妹)であり、戊辰ぼしん戦争(鶴ケ城籠城)を戦い抜いた女丈夫じょじょうふであり、また同志社の創設者である新島襄の妻となって京都で活躍した新島(山本)八重のことである。

もっともかつての八重は有名人でも偉人でもなく、むしろ歴史上無名に近い人物であった。これまでは白虎隊のドラマに、山本八重としてチラリと登場するくらいの端役でしかなかった。その八重が2009年4月に放映されたNHKテレビの人気番組「歴史秘話ヒストリア」に、「日本悪妻伝説初代〝ハンサム・ウーマン〟新島八重の生涯」として放映された。ここでは従来の悪妻・烈婦という八重のイメージを逆手にとって、最終的にハンサム・ウーマン(生き方が美しい)に大転換するという巧みな手法が用いられている。これによって八重の評価は、マイナスからプラスに見事に変貌したのである。

その2年後の2011年3月11日、未曾有の大震災が東北を襲った。それを受けてNHKは、再来年さらいねんの大河ドラマを「八重の桜」にすると報道した。そこには八重の前向きな生涯をドラマ化することを通して、東北で被災された方々へ勇気と励ましのエールを送りたいとの思いが込められていたようだ。

こうして2013年1月6日から12月15日まで、綾瀬はるか主演の「八重の桜」が放映された。その精神的・経済的効果は絶大であったと思われる。しかしながら大河ドラマが終了すると、あっという間に八重への関心も薄れていった。せっかく八重によって結ばれた会津若松と京都(同志社)との絆も、徐々に過去の記憶になりつつある。

思うに大河ドラマは一つのきっかけであり、それが終った後にどのように継承していくかが一番の課題であろう。八重の伝記を執筆した私としては、このまま八重のことが風化していくのは忍びないし、会津若松とのご縁も長く大切にしていきたい。

そう思っていた矢先に、岩澤信千代さんから「新島八重顕彰会」設立の話が舞い込んだ。私と同じように、いや私以上に、八重のことをずっと顕彰していきたいと思っている人がいるのであれば、その思いを共有し顕彰する会があってもいいと思い、喜んで発起人に名を連ねさせていただいた。

その際、私が要望したのは、八重だけでなく兄の覚馬についても顕彰してほしいということである。今後、この顕彰会の活動によって、八重や覚馬のことが広く知られることを心から願って、お祝いの言葉にしたい。