🗓 2020年12月07日

随分前に私と同名の名前の人を新聞記事で見たことがある。遠くの県の自動車事故で死亡した記事であった。私の名前の由来は名付けた祖母から聞いていた。父方の祖母の名前はノブヨといい、母方の祖父の名前をよしといったのでそれを合わせてのぶ千代ちよとつけたという。
 私の祖父は太平洋戦争で戦死したがその兄が存命で、いい名前を付けたとほめられたと祖母から何度も聞いていた。大叔父巌は長兄で本来家を継ぐはずであったが、家業である農業は次男であった私の祖父が継いだ。長男に生まれた私は跡取りだからといって大学の学資は祖父の兄がすべて面倒をみてくれた。
 数年前E信千代という方からハガキを頂いた。ネットで私の書いた「不一・・新島八重ののこしたもの」を知ったらしい。名前が同じなので会いたいという内容だが未だ面会は実現していない。現在の中学校の学区が同一らしい。私の妻の甥と同級生らしい。
 グーグルで「岩澤信千代」と検索すると300件くらいヒットする。「八重の桜」放映時には750件ヒットしたが、今はずいぶん減った。その中には小谷信千代さんという学者もいた。
 最近は季節外れの「桜の会」で話題を提供している元首相安倍晋三の甥が岸信千世さんというらしい。元総理大臣岸信介の孫にあたるという。ちなみにこちらの方は12800件のヒット数がある。

大学卒業を控えた就職活動で大手証券会社に行った。当時指定校制度というのがあって私の出身校は比較的有利であった。面接時我々早慶は昼食にサンドイッチとジュースが出た。5日間連続で呼び出されて拘束された。後で聞くと旧帝大出身者はOBと共に社員食堂で食事をしていたらしい。ここでも差があった。数度の面接があって役員面接になる。役員面接までいけばまず落ちることはない。役員面接を同時に受けた学生は東北大・一橋・早慶の5人であった。
 途中の面接官から聞かれたら私の名前を言えば必ず受かるからと示唆されていた。案の定、最後に役員から「当社に知り合いはいるか?」という質問がきた。「一切いません」と私は答えた。その前の役員との会話でカチンときていたからである。その役員は言った。「君の名前は、新橋にいる僕の彼女と名前が一緒だね。」芸者の名前と一緒にするなと無意味な反骨心が沸いたからである。面接官Iさんの名前を言えば合格だったが、当然試験は落ちた。その面接官は、その後
 その会社の最年少取締役となった。その会社役員面接の後歩いていて看板が目に入り、ぶらりと入って面接したのが、27年間在籍した会社である。その時役員面接をした専務が言った「栴檀は双葉より芳しとは、君のような事をいうのだね。」名前をけなされるよりお世辞でも褒めてくれた会社に入社を決めたのは当然である。最も「新橋の彼女」と言った役員もおとしめるためではなく親近感の表現であったかもしれないが・・・。
 数年後、その重役は雑誌の写真でその会社で「法人営業の神様」と言われたT専務だと知った。ある時、勤務していた支店が近くで同学出身なのでそこの会社の支店長に昼食をごちそうになった。彼は笑って言う。「Tさんは顧客と接待ゴルフに行って、テイーショットの後、顧客の打ったボールの方向に一目散に駆けていき、自分のボールを置き、OBであったとしても、大げさな身振りで「セーフ」と両手を広げで顧客の歓心を買ったのは有名だ。一緒に回っているプレーヤーはそのことを知っていてもジェスチャーが大げさで責める気にはならなかったという。

私の長男の名前は雅之という。本人には言ってないが会津藩初代藩主保科正之(まさゆき)を連想して考えた。字を変えたのは9代藩主容保のように悲劇にならないように「正」ではなく「雅」に変えた。

(文責:岩澤信千代)