🗓 2021年10月10日
最近老化現象か睡眠時間が短くなった。寝つきも悪くなった。酔っぱらっていなければなかなか寝付けない。若いころは山手線に乗って座席に座ればすぐに爆睡できた。そこで睡眠薬替わりに書棚から引っ張り出して昔読んだ本を読み返している。その中で、記憶にあったが書名は不明だった本に昨夜出会った。中嶋繁雄著「日本の名門100家」である。
「暁の秘密儀式」はそこのタイトルで毛利家(公爵)を引用します。
【長州36万石の旧藩主毛利家にこんな言い伝えがある。徳川初期から続けられてきた秘密儀式の話である。正月の元旦、まだ未明の時刻、礼装に威儀をただした筆頭家老が主君の前にまかり出て、
「もはや、(徳川討伐の)準備ができました。いかが計らいましょうや」と言上する。殿様は返答する。
「いや、まだその時期ではないーー」
関ヶ原の恨みが凝縮してこの儀式となったのだった。】
五大老の筆頭毛利家は西軍に味方したために関ヶ原の戦い後120万石から一挙に36万石に減封された。
徳川270年の長い間毛利家長州はこの恨みの中にいたことを象徴している。
明治維新はこの長い間うっ血した感情が反徳川となって爆発したのかもしれない。一方会津藩は二代将軍秀忠の子供というだけで戦争で手柄を立てて大藩の領主の座を勝ち取ったものではない。異母兄弟の3代将軍家光の恩顧のおかげで勝ち取ったもので、毛利のように戦で勝ち取り8か国120万石まで領土拡大したわけではない。高遠3万石から山形経由で23万石の領主になったわけであり、領地を血を流して切り取ったものではない。
この秘密の儀式が本当なのかどうかわからないが、家訓第1条に縛られた会津と徳川憎しの歴史をもつ長州との違いは大きかったものと思われる。長州は高杉晋作の奇兵隊が親徳川勢力と戦って藩内で血を流している。戊辰戦争の勝利後も国内の不平武士を粛清したりしている。戊辰戦争で活躍した前原一誠も奇兵隊のメンバーもかなりの人数が藩内で粛清された。
(文責:岩澤信千代)