🗓 2022年02月05日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

一つの漢字には、複数の読み方があります。それは漢字に音読みと訓読みの二つがあるからです。もちろんそれだけではありません。音読みにはさらに漢音・呉音・唐音など複数の読みもあります。また訓読みにもいくつかの読みがあります。さらに漢字が二つ組み合わされて熟語になることで、どうしてそう読むのか説明できないものも生じてきます。これが日本語の難しいところ(面白いところ)でもあります。
 中でも「生」という漢字には、易しい漢字なのに、数え切れないほど多くの読みがあります。もし漢字の中で一番読みが多いものは何かと尋ねられたら、私は躊躇なく「生」をあげます。では、あなたは「生」の読みをいくつあげられますか。ここで一度見るのをやめて、思いつくだけ書き出してみてください。じっくり考えれば、十通りくらいの読みはすぐに思いつくはずです。
 いかがでしたか。では答え合わせをしてみましょう。まずは簡単な音読みからです。普通に「せい」(学生・生活)・「しょう」(一生・生涯)は出ますよね。それが濁音になって「ぜい」(平生)・「じょう」(誕生・往生)になったものも、ここでは違う読みとして勘定してかまいません。これで四つになりました。
 次に訓読みですが、こちらの方がどうやら多そうです。動詞の活用としては「いかす」(生かす)・「いき(る)」(生残り)・「いく」(生田)・「いけ」(生簀・生花)があげられます。それに「うまれる」(生まれる)・「うむ」(生む)、「おい」(生い立ち・相生)も加えておきましょう。それから「はやす」(生やす)・「はゆ」(生ゆ)・「はえ」(毛生え薬)も思いつきますよね。これで四種類(小さくは十種類)ですから、合わせて八つにはなります。なお「生かす」は「活かす」、「生む」は「産む」とも書きます。
 これだけではありません。生活の中で使っている読みとして、「うぶ」(生方・生毛)・「き」(生蕎麦・生糸・生地)・「け」(皆生)・「せ」(早生)・「なま」(生意気・生傷)もあげられます。この「なま」というのは未熟という意味です(生半可・生兵法)。さらに「なす」(生す・生さぬ仲)・「むす」(苔生す)もありますし、「なり」(生業・鈴生り)・「ぬく」(生見)などもあります。古語では「あれ」(御生れ祭)もあげられます。これで一機に十種類が増えました。あわせるともう十八通りを超えました。
 それでもまだあります。「芝生」(しばふ)・「壬生」(みぶ)などは序の口です。「ぶ」は「蕨生」(わらび)にも変化しています。「生飯」(さば・さんばん)となるとかなり難読ですよね。似た読みに「福生」(ふっさ)もあげられます。これでまた五つ増えました。
 だんだん読みが微妙になってきます。「麻生」(あそう)・「羽生」(はにゅう・はぶ)はいいとして、「生粋」(きっすい)・「弥生」(やよい)・「桐生」(きりゅう)・「芹生」(せりょう)・「宿生木」(やどりぎ)などは二つの漢字が連動していて、どこで切れる(分ける)のかもはっきりしません。でもこれで五つ増えました。
 さらに名前の読みとなると実に豊富で、「あり」・「おき」・「すすむ」・「たか」・「のり」・「ふゆ」などと読ませています。塩野七生は「ななみ」でしたね。男性では「お」(幹生)・「き」(雄生)も少なくありません。また「何生」と書いて 「なにがし」と読ませることもあります。これだけで七通りになります。
 これが熟語になった途端、とんでもない読み方が浮上します。「生憎」(あいにく)はいかがでしょうか。古典では「生絹」(すずし)も出てきます。「生薑」(はじかみ)はまだしも、「生命」(いのち)・「晩生」(おくて)・「生計」(くらし・たつき)となったら、もうお手上げですよね。この七つは読みというより当て字みたいなものです。
 いかがでしたか。「生」の読みが異常に多いこと、おわかりいただけたでしょうか(少なくとも四十二通り以上あげました)。ではその反対語の「死」の読みはどうでしょうか。奇妙なことに、「死」は「し」以外の読みが見当たりません。音が「し」で訓が「しぬ」です(「生死」は「しょうじ」)。もちろん不吉なので名前に使われることもありません。反対語でこうも違っているのです。他に読み方がたくさんある漢字を探してみてください。