🗓 2022年10月22日
吉海 直人
外国人留学生が日本語を習得するのは容易ではありません。留学生ならずとも、日本語表現のややこしさは日本人自身が実感しているはずです。助詞の使い方が難しいとか、同音異義語が判断しにくいとか、敬語の使い方がよくわからないとか、いろんな声が聞えてきます。最近は、若者言葉についていけないという大人の悲鳴もあがっています。
早速ですが「まんじりと」はどうでしょうか。この言葉は後に打消しを伴うことが多いようです。「まんじりともせず」というのは一睡もしなかったという意味ですが、動作のことと誤解されて、微動だにしなかったの意味に考えている人も少なくないようです。それだけではありません。打消しを伴わないで「まんじりと見る」という使い方まで行なわれています。この場合はじっと見つめる意味だそうです。ややこしいですね。
類似した表現として「寸暇を惜しまず(勉強する)」があげられます。実はこれは間違った表現で、正しくは「寸暇を惜しんで(勉強する)」です。「寝る間も惜しんで」も同様です。あるいは「骨身を惜しまず」や「努力を惜しまず」との混同が生じているのかもしれません。しかしながら「寸暇」とはちょっとした隙のことですから、有効活用するためには惜しまなければなりません。
「気の置けない人」はどうでしょうか。これは文化庁国語科が行なった「国語に関する世論調査」で、正解よりも間違った人が多かった事例の一つです。本来は「気の置けない友達」のように、遠慮しなくていい相手のことなのですが、表現に「ない」という否定表現が含まれる事で、気が許せない(油断できない)意味に勘違いされているようです。
次に「流に掉さす」はいかがでしょうか。これなど夏目漱石の『草枕』に「情に掉させば流される」とあることから、「川の流れに抗う」「時流に逆らう」という意味にとらえている人が少なくないようです。でも「棹さす」は棹をさして舟を進めることですから、流れる方向に棹させば舟はスピードアップします。本来は相乗効果の意味だったのです。
では「一姫二太郎」はどうでしょうか。前の「国語に関する世論調査」では、三割以上の人が「子供は女一人、男二人であるのが理想的だ」という意味だと思っているそうです。しかし本来は、「最初の子供は女、二番目の子供は男が理想的」という生まれる順番でした。というのも、女の子は育てやすいとされているからです。それが何時の間にか子どもの数と誤解されてしまったのです。
たいした違いはなさそうにも見えますが、子どもの合計が三人か二人かはかなり違いますよね。なお「姫」は女の子の意味でいいのですが、「太郎」は単に男の子を示すだけでなく、長男の意味も有しているので、もともとこの表現には無理があることになります。
「役不足」という表現は、今でも誤用されることが多いようです。文化庁の「国語に関する世論調査」で、これを「本人の力量に対して役目が軽すぎること」と答えた人が、平成14年では28%、平成18年では40%、平成24年では42%となっています。一方、これを「本人の力量に対して役目が重いこと」と答えた人は、平成14年では63%・平成18年では50%・平成24年では51%だったそうです。
この結果を見ると、正解は後者の方になりそうですが、もちろん前者が本来の意味です。つまりこの表現は、過半数の人が本来の意味とは異なる、言い換えれば間違った使い方をしていることになります。これもいずれ容認されるようになるのでしょうね。なおその反省から、あえて「役者不足」という表現を用いる人がいますが、今のところ「役者不足」という言葉(用法)はまだ認められていません。使うのなら「力不足」「力量不足」と言ってください。
最後に「小春日和」はいかがでしょうか。これはどの季節に口にするのが正しいと思いますか。実は「小春日和」は「春」とは全く関わっていません。むしろ晩秋・初冬の暖かい日に使われることが多い表現です。それは「小春」が旧暦十月の異名だったからです。それでも「小春」という字面に引きずられて、春が来たことを示す表現・春先に使う言葉だと誤解している人が多いようです。やっぱり日本語は難しいですね。