🗓 2022年11月26日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

「良薬は口に苦し」という古いことわざがあります。実は続きがあって、「良薬は口に苦けれども病に利あり」つまり苦いけれど病気に効くといっています。昔は漢方薬が主流だったので、苦くて飲むのに苦労したのでしょう。
 その漢方薬には三つのタイプがあります。「湯・散・丸」という漢字に見覚えはありますか。「湯」は日本では銭湯のことですが、中国ではスープのことを意味します。そのため中国からの留学生が鍋をもって銭湯にスープを買いに来たという笑い話があります。また「湯」は漢方では煎じ薬のことですから、ややこしいですね。すぐ頭に浮かぶのは、風邪を引いた時に飲む葛根湯・生姜湯でしょうか。婦人薬の中将湯も記憶にあります。
 次の「散」は粉薬で、胃薬の太田胃散・のどの薬の龍角散に名を留めています。これも飲みにくいですね。そして三つ目の「丸」は文字通り丸薬で、小児用の宇津救命丸(関東)・樋屋奇応丸(関西)が有名でした。他に仁丹やういろうもあげられます。
 ところで胃腸薬といえば、子供の頃よく正露丸を飲まされました。大きくて呑み込みにくいだけでなく、強烈な匂いも記憶に残っています。もともと正露丸は木クレオソートを主成分とした胃腸薬(下痢止め)でした。それが匂いのもとです。ですから漢方薬というより生薬ですね。
 というのもこれは、江戸時代後期にオランダからケレヲソートという名称で日本にもたらされたものだからです。それを使って明治35年、大阪の中島佐一薬房から「忠勇征露丸」として商品化されました。これは日露戦争と関わりのある薬だったのです。
 陸軍は木クレオソートの殺菌力を信じ、チフスのみならず脚気にも効く万能薬と考え、日露戦争に出兵する兵士の常備薬としました(もちろん脚気にもチフスにも効きませんが歯痛には効くようです)。当初はそのままクレオソート丸と称していましたが、日露戦争ですからロシア(露西亜)をやっつけるという意味の「征露」丸の方がふさわしいということで、たちまち征露丸という名称が流布したようです。
 戦争終結後、国際関係上「征露」は好ましくないとされ、行人偏をとって「正露」に改称されました。ただし奈良県の日本医薬品製造株式会社だけは、今も一貫して征露丸という商品名で製造販売しています。
 その後、中島佐一の「忠勇征露丸」の製造販売権を有する大幸薬品は、昭和29年に正露丸の商標登録を申請し独占販売をめざしました。なおラッパのマークの正露丸という宣伝文句は、征露丸当時の進軍ラッパのイメージを引きずっているようにも思えます。
 これに対して、クレオソート丸を陸軍に納めていた和泉薬品工業は訴訟を行い、最高裁で商標登録の取り消しが確定しました。既に普通名詞化しているというのがポイントです。そのため商標登録は無効となり、誰でも正露丸という名で販売していいことになりました。こうして大幸製薬の正露丸を筆頭にして、和泉薬品工業の正露丸、キョクトウの正露丸、その他本草製薬・大阪医薬工業・常盤薬品・富士薬品・正起製薬・加藤翠松堂・大和製薬・渡辺薬品工業の正露丸など、異なる製薬会社が同一名で販売しました。各社の包装箱のデザインを比較してみるのも面白いかと思います。
 なお、子供には飲み込みにくかった生薬ですが、オブラートに包んで飲まされた記憶もあります。今は錠剤の技術が進化し、糖分でコーティングした正露丸糖衣もできており、匂いも飲みにくさも解消されています。しかし妙なもので、かえってあの臭い匂いがなつかしく感じられてなりません。