🗓 2023年10月07日
吉海 直人
『万葉集』で、梅よりも桜よりも多く詠まれている花があります。ご存じですか。それが「萩」でした。梅が119首なのに対して「萩」は142首ですから、万葉人がどんなに「萩」を愛していたか、あるいは日常生活と「萩」が密接に関わっていたかがわかります。
もちろん梅や桜が春の花なのに対して、「萩」は秋の花でした。そもそも草冠に秋と書いて「萩」ですから、名称からして秋を代表する花としての漢字を宛てられていることになります。そのことは山上憶良が歌っている「秋の七草」において、
と真っ先に「萩」が詠まれていることからも察せられます。そこで今回は「萩」について調べてみました。
まずは『万葉集』に、「萩」という漢字が見当たらないことはご存じでしょうか。表記を調べてみると、「芽」あるいは「芽子」を「はぎ」と読んでいるか、「波疑」という万葉仮名を「はぎ」と読ませているだけです。なんと『万葉集』において、「萩」という漢字は用いられていなかったのです(まだ一般化していなかったのかもしれません)。
上代の初出として、『播磨国風土記』の「萩原里」があげられていますが、どうやらそれは「萩」ならぬ「荻」ではないかといわれています。もしそうなら、上代に「萩」の使用例はなかったことになります。結局「萩」を「波支(はぎ)」と読んだ最初の例は、900年頃成立の『新撰字鏡』という辞書でした。ただし「萩」が一般化するまでにはかなり時間がかかりますから、905年成立の『古今集』でも、漢字表記ではなく「はぎ」と仮名で書かれています。
漢字「萩」が普通に使われるようになるのは、相当遅かったようです。そのため植物学者の牧野富太郎など、「萩」は日本で作られた国字だといっています。しかしながら中国に「萩」の漢字はあるので、必ずしも国字とは認定できません。ただし中国と日本では、その漢字の指す植物が違っていました。中国ではキク科のヤマハハコのことですが、日本ではマメ科のハギだったのです。ということで「はぎ」という訓読みは、日本独自の言葉だったことになります。
もう一つ面白いのは「白萩」です。その中でも有名なのが『万葉集』の、
という歌です。これなど表記は「白はぎ」ですが、「しろ」ではなく「秋(あき)」と訓読されています。普通に考えれば白色の「萩」ということになりそうですが、風水というか五行説でいうと、「秋」は西の方角であたり、その方角を示す色は「白」でした(白秋、金秋ともいいます)。そうなるとこの「白」は必ずしも花の色ではなく、「秋」と互換できる語ということになります(「春」と「青」もそうですね)。実のところ『万葉集』の「萩」の歌の中で、はっきり花の色を表現している歌は他に見当たりません。
「萩」の色については、花以上に葉の黄葉表現に用いられるのが普通でした。『万葉集』の黄葉が「紅」でなく「黄」とあるのは、楓の黄葉ではなく「萩」の黄葉が多く歌われているからなのです。特に「下葉」が真っ先に黄葉します。当然その時期も、晩秋よりもっと早い中秋なので、平安時代の楓の紅葉とはきちんと区別する必要があります。
それはさておき、「萩」の語源は非常に複雑です。『万葉集』の「芽子」は「がこ」もしくは「めこ」と読みますが、「めこ」は「妻子」と同音(言語遊戯)になります。要するに「芽子」=「妻子」でもあったのです。だからでしょうか「萩」は女性・恋人に喩えられ、「秋萩の妻」「萩の花妻」と詠まれています。
それもあって「萩」は牡鹿との相性がいいようで、「鹿鳴草」「鹿の妻」とか、「秋萩を妻問ふ鹿こそ」(1790番)などと詠まれています。大伴旅人も、
と歌っています。ただし鹿が「萩」に近づくのは、単に「萩」の花芽を食用としているからでした。「萩」は枝に花の若芽がたくさん出るので、それを食べに動物が集まってくるのです。それを人間が、いかにも恋愛感情があるように読み取っているだけなのです。
その他、葉っぱが歯のように見えるから「歯木」だという説も捨てがたいものです。平安時代になって、「萩」の歌が減少したのは、貴族の美意識がそういった生活臭を嫌ったからかもしれません。