🗓 2024年10月02日

 フエイスブックを見ていたら山口県(長州)の山影司さんの名前があった。長州萩市に「長州と会津の友好を考える会」会長山本貞寿さんの後継者と目されている人である。明治維新から150年経っても両市のわだかまりが残っている。過去に姉妹都市締結に近い話があった。萩市の申し出を当時の若松市長が断った。そんなことしたら当然、次の市長選で敗北するからだ。ほとんどが武士の子孫でない若松市民の間にも「長州憎し」が相当あった。そんな中、何とか萩と会津を結び付けようと山本先生は70回以上も会津に足を運ばれた。萩から山道を1時間以上自ら運転され新幹線に乗り換える大変な旅程である。その過程で会津を訪問されたときに会津の郷土史家滝沢洋之氏が当事会津村の支配人をしていた私のところへ山本先生を連れてこられた。その後東北大震災があった。萩市から何台ものトラックに積んだ物資と千万単位の義援金が会津若松市に届けられた。

 フエイスブックを通じて山影さんになんやかんやとメッセージを書いた。そしたらどこで私の電話番号を知ったのか、山影さんから電話があったのである。そして話をしていたら、山影さんと私が同じ学年だったのである。そして山本先生と会津に随行したことがあるという。数年前会津の滝沢先生がセッテイングして20人ばかりでワシントンホテルで山本先生を囲む懇親会が開かれた。滝沢先生に誘われて私も参加した。会津高校の校長や同窓会長もいた。山本先生は東京にいるお孫(長身の美人)さんと一緒だった。その時に山影さんもおられたそうだ。名刺ホルダーを確認していないがおそらく名刺交換をしていたはずだ。常々、山本先生からは会津との懸け橋を繋いでくれるのは山影さんだと伺っていた。昨日の電話ですでにお会いしていたと判明したのにはびっくりした。

 70歳の古希近くに図らずも、奥田会津会幹事長と萩市の山影さんとお知り合いになれた。同学年の人と地域を超えて接点ができたことは天の配剤である。ちなみに本人に名前掲載の許可をとっていないが同学年の人々を紹介します。一人娘が同志社OBに嫁いだので同志社ファンになり新島八重顕彰会に入会された平田村の太田さん、毎年京都から顕彰祭に参加される同志社法学部OBの角田さん(早稲田が好きで校歌・応援歌を萬花楼で肩を組んで歌った)何処で知り合ったか思い出せない早稲田大同級(学部は違う)で会津会常任幹事野村さん、今回の長州山影さん・・・他にも同級生がいると思うが、高校の同級生数名には顕彰会の会員になっていただき毎年会報に広告を出してもらっている。

(文責:岩澤信千代)