🗓 2025年12月20日
吉海 直人
みなさんキンモクセイの花はご存じですよね。漢字で書くと「金木犀」です。「金」というのは花の色が黄橙がかっていることによります(成分はカロテノイドという色素です)。花の色が白っぽいものは「銀木犀」と呼ばれています。実は「銀木犀」の方が本家で、「金木犀」はその変種だそうです。同志社女子大学の今出川通り添いの道には20本近い「金木犀」が植わっていて、花の咲く頃には甘い香りが鼻をくすぐります(金木犀の道)。
ところでみなさんは日本三大芳香木をご存じでしょうか。これは中国原産のもので、早春の「沈丁花」・夏の「梔子(くちなし)」、そして秋の「金木犀」の三つです。これに冬の「蝋梅」を加えて四大芳香木と称することもあります。この中で「梔子」以外は、室町・江戸時代に日本に伝来したものです。唯一「梔子」は平安時代の『古今集』にも読まれており、また薬用(胃炎・低血圧・不眠症)・染色用としても広く利用されていました。
話を「金木犀」に戻すと、中国では「金木犀」のことを「丹桂」、「銀木犀」のことを「銀桂」と称しています。これが誤解を生む元凶でした。というのも日本には別種の「桂」があるからです。しかも日本では「桂」は単独ですが、中国では「木犀」のことも「肉桂」のことも「桂」だったからです。そのため中国では、月の中には香りのよい巨木があると信じられていました。その話が日本に伝わって、「月の桂」として和歌に詠まれています。ただし月に生えている「桂」は単純に「桂」のことと思い込んでいたようです。ところが「桂」にいい香りはありません。これは「丹桂」つまり「金木犀」のこととすべきだったのです。
日本でも渡来した際は、中国名で「丹桂」と呼ばれていたようです。では一体誰が「金木犀」と名付けたのでしょうか。幸い名付け親はわかっています。それは植物学者の牧野富太郎でした。オレンジ色の花をたくさん咲かせる様子が黄金色に見えることから「金色の花を咲かせるモクセイ科の植物」という意味で「金木犀」と命名されたそうです。ということは「金木犀」という呼称は明治後期に一般化した新しい名称だったことになります。ついでながら名前にある「犀」は動物の「サイ」のことです。樹皮がサイの足に似ていることから木の犀と名付けられました。また樹皮の模様がサイの皮膚に似ているともいわれています。学名は「オスマンサス」(ギリシャ語)ですが、それは香りのある木という意味でした。
ここで「金木犀」の基礎知識を紹介します。一つは「金木犀」は江戸時代に日本に渡来したのですが、興味深いことに雄株だけで、雌株は輸入されていません。要するに「金木犀」にしても銀杏と同じように雄株と雌株があったのです。ただし雄株の方が雌株よりずっと多くの花を咲かせるので、現在も日本ではほぼすべて雄株と思って間違いありません。その証拠に実のついている「金木犀」を見たことないですよね。
ではどうやって増やすかというと、同じ木犀科の「ヒイラギ」を台木とした接ぎ木や挿し木で簡単に増やせます。それどころか繁殖力が旺盛なので、気軽に庭に植えてはいけないとまでいわれています。もっとも子供の頃に汲み取り式のトイレを経験している人は、トイレのそばに「金木犀」が植えられていた記憶があるはずです。私も「金木犀」の匂いを嗅ぐと、真っ先に臭いトイレを想起してしまいます。ということである時期、トイレの芳香剤として売られていました。現在は水洗トイレですから、若い人にとってはそんな思い出はないですよね。
繁殖力旺盛ということですが、普通は4メートルくらいの樹木ですから、さほど大木とは思いません。ところが案外寿命が長く、江戸時代以降でも樹齢300年を超してしまいます。すると樹高は優に10メートルを超す大木に育ちます。それどころか、日本には樹齢八百年以上、樹高15メートルを超す天然記念物指定の「金木犀」が全国に何本もあります。
たとえば鎌倉の円覚寺や三島の三島大社の金木犀(薄黄木犀)、西条市の王至森寺や熊本の麻生原居屋敷観音は樹齢千年を超すと伝えられています(神社仏閣が多いようです)。どうやらこれは鎌倉時代に、中国との交易によって日本にもたらされた苗木か種が植えられたもののようです(中国には雌株があるので種が取れます)。ただ本当に樹齢千年を超すかどうかは定かではありません。少なくとも銀杏と同様に、平安時代の文学にも歴史にも「金木犀」は一切出てきません。
