🗓 2020年04月02日

「攬勝亭」を顕彰会のホームページに載せたところ、「攬勝亭を守る会」の会長をしておられる白木屋漆器店経営の高瀬かづ子さんから顕彰会宛にお問合せメールが届いた。
実をいうと筆者はそのメール を見逃していたのだが、同志社女子大の吉海直人先生から「白木屋」のフエイスブックに攬勝亭10首のことが記載されているとの指摘を受け、白木屋漆器店に電話したところ、高瀬かづ子様ご本人と話すことができたのでその時顕彰会宛メールを頂いたことを知った。内容は八重顕彰会のHP記事の転載についてである。勿論転載については断る理由もない。

そこで、高瀬さんから十首の漢詩について記録があることを聞いた。なおかつ驚いたのが著者が鈴木茂雄氏だという。鈴木茂雄氏は筆者の子供の頃よく我が家に出入りしていた人である。小学校の校長を退職され歴史の研究をされていた。地元の中野竹子顕彰碑など記録も残しておられ、なおかつその孫と私は同じ町内会に生まれ小学校から同級生で高校までサッカーを一緒にやっていた。歴代冠婚葬祭(地方で折角せっかくの使い)のある家であり、私は高校1年で退部したが、彼は3年卒業までサッカーを全うした。

その小冊子の著名は昭和41年4月発行の「会津の名園攬勝亭」である。早速会津図書館に行ってコピーをしてきて読んだ。
そこには興味深い記述があった。一つは野矢常方や新島襄の先生であった喜多方市出身の添川廉斎の名があったことである。

もう少し調べる必要があるようだ。

(文責:岩澤信千代)