🗓 2020年10月12日
前稿で「会津の義」を解明しようとしたがあきらめた。うっすらと「会津の義」とは主君松平家と宗家徳川家への「忠義」の「義」ではなかったかと漠然と書いた。海のない会津ではその頃、西欧の列強国の植民地化とか「世界の中の日本」とかの意識は低かったろうと述べた。日新館の秀才が選ばれて、江戸の昌平黌や長崎遊学が藩費で認められていた。しかし、そういった秀才たちは、日本が欧米列強の餌食になるかもしれないと会津藩首脳に伝えたかどうか不明である。わずかに蘭学に通じた山本覚馬が軍制改革・軍備増強を藩に上申したのだが、1年間禁足の処分を受けた。覚馬の仮想敵が薩摩か長州か欧米の列強かいまだに不明である。どうも海のない会津では、敵国とは当時300余藩あった日本の中の徳川封建制下の独立した国家(藩)ではなかったかに思える。英国と戦い賠償金を支払わされた薩摩・長州のように本当の仮想敵国は、アジアの植民地化を図る欧米列強であることに気が付かなかったのではと思える。太平洋戦争のアメリカの原子爆弾投下のように会津藩をいけにえにして戊辰戦争を終結させたのではと考える所以である。
私には眠れない時に布団に入り本を読む習慣がある。羊を数えるのと同じように睡魔が襲ってきていつの間にか夢の中に入るのである。最近内村鑑三の「代表的日本人」を取り寄せて読んでいた。西郷隆盛の後の上杉鷹山の稿にその文章はあった。
「封建制度にはいろいろの欠陥があった、そして其等の欠陥のために我我は封建制度を立憲制度に換えたのである。しかし鼠を焼こうとして納屋をも焼きはしなかったか、封建制度と共に結びついていた忠義、武勇、多量の雄々しさや人情味が我我より喪われはしなかったかを我々は懼れるのである。純粋の意味の忠義は、主君と臣下とが相互に直接相接しているときにのみ、可能である。・・・・・・・以下省略」
この文章は多くの示唆を我々に与えてくれる。いじめや幼児虐待など封建時代ではあまり問題がなかったようなことが現代でおこっている。特殊詐欺などもってのほかだ。まさに内村鑑三が言うように本末転倒、納屋を焼くに等しい状態が起きている。
「義」とは主君に対する「忠義」ではなく、「正義」の「義」と解するのが現代に生きる我々の務めかもしれない。「義」をどう実践するかは各人各様に任されているのだろう。
そう考えれば白虎隊の殉死や中野竹子の戦死が後世の人々にとって無駄ではなかったのではないかと考えるのである。
(文責:岩澤信千代)