🗓 2020年10月24日
宮本武蔵が松の木の下で吉岡道場の一門と決闘する場面が浮かぶ。何歳のころか不明だが今は亡き親父に初めて映画館に連れて行ったもらった時の場面である。「吉岡」の名前に自信がなかったのでネットで調べたが間違いではなかった。それほど鮮明に記憶に残っていたのである。
将軍家の剣術師範であった吉岡清十郎一門との有名な決闘場面である。父親と映画を見た回数はあまりない。東大入試の合格発表の時に、叔父さん(父の兄)と3人で行ったのが最後である。結果は落第したのであるが、帰り道叔父さんが突然映画を見に行こうと言った。
映画を見終わって、叔父さんがぽつりと言った。「映っていなかったな。」私の父親と叔父の父、すなわち私の祖父は太平洋戦争の終盤に硫黄島で玉砕した。その映画は記録映画で「硫黄島の戦い」がテーマだった。父と叔父は映画に戦死した自分の父親の姿を追っていたのだ。
その叔父さんには学生時代大変お世話になり、アルバイトも世話してくれた。洋品店を経営していたのだが中野ブロードウエイにある婦人服店で店員をやった。ブラジャーとかサイズを聞いて販売するのだが、私の風采では女性客が敬遠してあまり売れなかった。ただ男性客にはブラジャーなどの下着が良く売れた。店員が私だったので、男だったから買いやすかったのだろう。Aカップ、Cカップなど外見で見分けられるほど技術は上達したが、商売はつくづく難しいものであることが分かった。
さて、テレビを見ていたら感激することがあった。会津美里町に映画館が復活するという。「新富座」というそうだ。東京の斎藤さんが旧映画館を購入し、内装など大枚をはたき復活させるという。
会津若松市に映画館がなくなって久しい。私の子供のころは数か所あったような記憶がある。近所の若者が、米沢市とか新潟市まで映画を見に行くと聞くと、非常に残念なことだと思っていた。ネットで調べると同じ疑問を持った人がいたようで、会津短期大学の石光真教授が小論文を書いていた。結論は5W1Hにあった。やはり1番は映画館を運営する資金を誰がどういう形で出すかである。
残念ながら今話題の「鬼滅の刃」も我々会津若松市民は、市外で見なければならないようだ。今秋、松竹系で配給する役所広司主演の「峠・・・最後のサムライ」は長岡藩家老河合継之助が主人公で是非見たいと思っているのだが、新潟か米沢まで足を運ぶことになりそうだ。おいしいものを餌にして歴史にとんと興味のない女房を連れていく算段をしている。
美里町の映画館復活の話に感動する所以である。斎藤さん、ありがとう。
(文責:岩澤信千代)