🗓 2021年06月30日

柴五郎旧宅後に建った柴五郎顕彰碑(室井会津若松市長題字)の除幕式は10時からであった。我々が着いたのは1時間前の9時であった。顕彰碑建立実行委員会の人たちは除幕式の為準備をされていた。当然石碑は白い布がかぶされ準備万端であった。同行した太郎庵の目黒さんが「主人の柴五郎に対する想いが強いのでぜひ見たい」と私に訴える。それを聞いていた実行委員会の方たちが、会津から来たのならと特別に時間前に除幕してくれた。そのようなわけで実行委員会の人たちと記念写真を撮ることができた。

その後、我々の乗ったマイクロバスまで実行委員長が来てパンフレットを渡してくれた。そこで彼が言うには「会津の大黒堂の専務とは静岡の学校で一緒だった。ついこないだも電話で話したばかりだ。」我々の中に大黒堂の営業部長が偶然にもいた。本当に人の繋がりは不可解なものだと感じ入った。

そこまでは良かったのであるが、バスが出発してまもなくギ―ギ―と音がしてバスが揺れた。何事かとみるとバスを昇降するために設けられたステップが変形し元に戻らなくなっていた。あとで聞くと参加メンバーは会津まで新幹線で帰る覚悟をしたという。

今の自動車は電子制御されていて、不良があるといくらアクセルを踏んでもスピードが出ないようになっている。案内してくれていた斗南会津会の小島副会長は近くのガソリンスタンドに行こうというのだが、運転手によるとGSでは修理は無理だろうということで2kほど離れた三菱ふそうの営業所に向かった。ノロノロ運転でようやくついて、いろいろ見てもらったのだが、完全に修理することは不可能であるとの事で応急処置をしてもらった。すなわち、電子制御する線を抜いてもらったのである。それでようやくアクセルが機能したのである。修理工場の担当者に修理代を支払おうとすると受け取らない。これも会津と斗南の歴史的背景があるからか。心ばかりの350mlの缶ビールをお渡しして献霊祭に向かった。ハプニングの為、式ぎりぎりの到着であったが「招魂碑」の前で説明を聞くことができた。

長い旅を終えて、会津村で解散となったのだが、参加者のうち一人が「私の買ったお土産袋がない。」と言う。残った土産袋の内容を見て、今回初めて会った者同士であるが親しくなっていたSさんが「この袋の中身は、確かTさんが買っていたものだ。」私はTさんに電話したのだが帰路途中でつながらない。間違えられた人にTさんの電話番号を教えて差し替えてもらうことにした。もしSさんがTさんの買い物した物を見てなければ、他の人たちに連絡し犯人捜しをしなければいけないところであった。

無事、土産物の差し替えができたと聞いたのは深夜12時すぎであった。

(福島民報新聞 2021.6.28 掲載)

(文責:岩澤信千代)