🗓 2024年08月22日

豊臣秀吉には三人の秀勝という名の養子がいた。初めの秀勝は実子で早世してしまった。その後跡取りに恵まれなかった秀吉は織田信長の子供も養子にもらい秀勝という名をつけた。その3人はいずれも名を成さず早死にした。朝鮮の役に従軍し彼の地で梅毒にかかり死亡したものもいる。

 そして後継者と決め関白にした秀次は秀頼が生まれては関白の地位が脅かされると思い、精神が狂い奇行が目立つようになった。秀次は高野山で切腹させられ、妻妾34人が京都の河原で斬られ、根絶やしにされた。秀頼(お拾い)を可愛がるあまり、身内の後継者をことごとく不幸に追いやった。そして家康に政権を奪われ豊臣大明神の神号も剥奪された。豊国神社も破却されそうになったが寧々(北政所)の願いにより破却は免れた。明治時代になり富国強兵の政策が実施され外国にまで攻めていった秀吉は再評価され、今は立派な墓石が残る。

どうも総裁選の有力候補者の顔ぶれを見ているとこの不幸な秀勝と顔がダブる。

安倍派96、麻生派54,岸田46,茂木45,二階派38が派閥解消前の分布図である。おそらくこの派閥の亡霊が次期総裁選に現れるのだろう。

(文責:岩澤信千代)