🗓 2023年06月24日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

鬱陶うっとうしい梅雨のシーズンですね。こんな季節には「あじさい」が一服の清涼剤になります。その「あじさい」は花の色が変わることで有名ですね。それで「七変化」とも称されています(花言葉は「移り気」です)。では何故そういわれているのでしょうか。
 一つには土壌のpH濃度、つまり酸性か弱アルカリ性かで色が分かれることです。酸性であれば、アルミニウムイオンが溶けてアントシアニン色素と結合するので、花は青くなります。それが中性か弱アルカリ性であれば、アルミニウムイオンが溶けないので、花は赤いままです。昔は「あじさい」の根元に一円玉を埋めると、花が青くなると信じられていましたが、それはどうやら眉唾くさいようです。もう一つ、土壌とは関係なく「あじさい」は咲き始めから咲き終わりまでの間に、淡緑色→白→藍(青紫)→淡紅色と自ら色を変えていきます。その日々の色の変化を追いかけるのも楽しみの一つです。
 ではここでみなさんに質問です。「あじさい」を漢字でどう書きますか。はい「紫陽花」ですね。ただしこれにはいささか問題があります。もともとこの漢字表記は、唐の白楽天が最初に漢詩(紫陽花詩)に用いたとされています。それを平安時代の源順が『和名類聚抄』(和名抄)という辞書の中で、「白氏文集律詩云紫陽花和名安豆佐為」と書いたのが最初だとされています。これによって「あじさい」に「紫陽花」という漢字があてられるようになったわけです。
 ところが、白楽天の見た「紫陽花」はいい香りのする花だったらしく、今のライラック(リラ)ではないかとされています。ですから中国で「あじさい」のことを「紫陽花」と表記していたわけではなかったのです。要するに源順が勘違いしてあてた漢字が日本で定着してしまい、今日までそのまま用いられることになったことになります。よくぞ勘違いしてくれたものです。
 もちろん、日本にはもっと前から「あじさい」がありました。古く『万葉集』に、

こと問はぬ木すら味狭藍もろちらがねりのむらとにあざむかえけり

 (773番大伴家持)

安治佐為の八重咲くごとくやしろにをいませ我が背子見つつ偲はむ

(4448番橘諸兄)

というあじさいの歌が2首載せられているのがそれです。なおこれは「がくあじさい」(日本原産)のこととされています。その他、柏の葉に似たカシワバアジサイ(北米原産)もありますが、いつから日本にあったのかは不明です。

平安時代、「あじさい」は辞書類には記載されていますが、何故か『枕草子』や『源氏物語』などの女流文学には一切登場していません。『古今集』以下の勅撰八代集にも見えないので、どうやら平安時代において「あじさい」は貴族が称讃するような美しい花ではなかったようです(野生の植物)。かろうじて『古今六帖』に、

茜さす昼はこちたしあぢさゐの花のよひらに逢ひ見てしがな

(3912番)

が出ているくらいです。この歌にある「よひら」とは、がくが変化した花弁が四枚あることです(花弁が四枚の花は珍しいのでしょう)。ここから「あじさい」の別称として「よひらの花」と呼ばれるようになりました。

それ以降も文学では「あじさい」の不人気が長く続きます。その「あじさい」が話題になるのは、下って江戸時代後期でした。日本にやってきたドイツ人のシーボルト医師が、日本女性の楠本滝と恋仲になり、なんと「あじさい」の学名を「おたくさ(お滝さん)」(ハイドレンジア・オタクサ)にしようとしたとされています。結局それは認められなかったのですが、何故か植物学者の牧野富太郎がそれを真に受けて、学術雑誌の中で、

シーボルトはアヂサイの和名を私に変更して我が閨で目じりを下げた女郎のお滝の名を之に用いて大いに其花の神聖をけがした。

と本気で非難しています。しかしこれによってかえってこの話は有名になり、真実味を増してしまいました。長崎で生れ育った私は、今もこの起源説(ロマンス)を信じています(長崎市の花はもちろん「あじさい」です)。

なお「あじさい」の花や葉には毒があり、食べると軽い食中毒を起こす場合がありますから、くれぐれも口にしないようにしてください。またあじさいの葉に食べ物を盛るのも禁物です。