🗓 2024年03月23日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

みなさんは「蟻がとおなら芋虫や二十はたち」という表現を知っていますか、あるいは口にしたことがありますか。これはよく使う「有難う」を言語遊戯的に混ぜっ返して、「蟻が十」に読み換え、数字の「十」を「二十」に発展させる中で、「蟻」より大きい「芋虫」を出して語調を整えているものです。特にこの表現に深い意味はなさそうですが、それでも言い回しとしての面白さは十分ありますよね。
 実はこれにはもう一つのバージョンも伝わっています。それは「蟻が鯛なら芋虫や鯨」という言い回しです。これは「有難う」が「有難い」になっていることから、「十」が「鯛」に変わり、それに連動して「二十」も「鯨」という魚系に読み換えられています。当然、「蚯蚓みみずはも」とか「蚯蚓は鰯」という言い換えもあります。
 こうして基本形が確立・流布すると、そこから新たなバージョンも次々に生み出されました。例えば「蟻が十なら蚯蚓みみずは二十」と、「芋虫」が「蚯蚓」に入れ替えられたり、「蟻が父さん蚯蚓が母さん」と数字の「十」が「父さん・母さん」に置き換えられたりしています。さらに発展形として、「蟻が十なら芋虫や二十、百足むかで三十で嫁に行く」と、もう一つの数字が付け足されたバージョンも作られています。これには「三十」という数字が、「二十五」や「二十九」になっているものもあります。また「百足」が「蛇」に置き替えられているものまであります。
 どうやらこれは、もともと物売りの口上として用いられた(広まった)もののようです。話術の一種として「啖呵売たんかばい」とも称されています。「がまの油売り」や「バナナのたたき売り」・「七味唐辛子売り」・「包丁売り」など、いわゆる香具師や的屋てきやの専門用語だったのです。ご存知かと思いますが、「フーテンの寅さん」でも映画の中でしばしば「啖呵売」をしていましたね。
 こういった表現は「付けたし言葉」(地口じくち・無駄口とも)といわれていますが、必ず洒落というか掛詞が入っているのが決まりです。数字を含むものはあまり多くはありませんが、「何か用か(七日八日)九日十日」は落語で使われています。「さよなら三角また来て四角」は、絵本やテレビドラマで有名になりました。もう一つ、「すいま千年、亀は万年」もありました。これは「すいません」から発展したものです。
 こういった「付け足し言葉」は日常の生活にも入りこんでいるので、どこかで聞いたことがあるものも少なくありません。知名度の高いものとしては、「おっと合点承知の助」や「あたりき車力よ車引き」・「驚き(木)桃の木山椒の木」・「何が南瓜唐茄子かぼちゃ」・「うらやま椎の木山椒の木」・「どうぞかなえて暮の鐘」・「そうは問屋が卸さない」・「あきれ蛙のほおかぶり」・「敵もさるものひっかくもの」などがあげられます。歌舞伎「ういろう売り」には「おっと合点だ心得たんぼ」とありましたね。最近は「了解(東海)道中膝栗毛」も登場しています。これにコマーシャルでヒットした「当たり前田のクラッカー」(「てなもんや三度笠」のあんかけの時次郎の口上)も加えられそうです。またテレビドラマの「ジャンケンケンちゃん」も仲間に入りそうですね。
 中には巧妙に地名が読みこまれているものもあります。「恐れ入谷の鬼子母神」は特に有名ですね。これ以外に「そうで有馬の水天宮」・「しゃれの内のお祖師様」・「うそを築地の御門跡」・「びっくり下谷したやの広徳寺」・「何だ神田の大明神」・「会いに北(来た)野の天満宮」・「その手は桑名(食わない)の焼き蛤」・「堪忍信濃の善光寺」・「そうか越谷千住の先よ」・「大あり名古屋の金のしゃちほこ」など数え上げればきりがありません。
 しかし地名(固有名詞)が含まれると、その地域の中でだけしか通用しないことになるかもしれません。なお「お祖師様」とは、堀之内妙法寺に祀られている日蓮上人のこと、「御門跡」は築地本願寺のことです。
 言葉遊びとしては、前に「桃栗三年柿八年」の続きバージョンを紹介しました。「百も承知、二百も合点」もその仲間でしょうか。また「いろはかるた」の中には、「豆腐にかすがひ、打っても効かん」・「鬼も十八、番茶も出花」・「旅は道ずれ、世は情け」・「猫に小判、やっても取らん」といった、いわゆる取らせ言葉もあります。こういったものも「付け足し言葉」の仲間ではないでしょうか。
 そもそも「付け足し言葉」は口承文芸のようなものですから、なかなか文学作品などには書き残されていません。そのため作者については不明な場合が多いようです。幸い「恐れ入谷の鬼子母神」については、大田蜀山人作「放歌集」(文化八年頃)に、

いまさらに恐れ入谷のきしも神あやうく過ぎし時を思へば

という狂歌が出ていることから、蜀山人の作という説があります。

ただしそれより早い文化三年(1806年)刊の式亭三馬作「小野ばかむらうそ字尽」に、既に「おそれいりやのきしもじん」とあることから、否定的な意見もあります。蜀山人も三馬も作者なのではなく、単なる筆録者とすべきでしょうか。いずれにしても「付け足し言葉」は文化年間には誕生していたことがわかりました。