🗓 2019年10月18日
「新島八重顕彰会」を祝して
― 新島八重の志を求めて ―
この度は、新島八重顕彰会の設立、おめでとうございます。私は、NHKの「八重の桜」の放送までは“新島八重”という人のことは知りませんでしたが、一年間のドラマを通して、会津出身の素晴らしい女性の存在を知りました、大変感動致しました。そして、今回、岩澤氏から顕彰会のことを伺いましたので、早速、入会させて頂きました。
私は、只今、宇都宮市在住ですが、中学時代は会津若松で過ごしました(若松二中)。今でも家は貸家として城東町に有ります。昭和36年、父が電気工事会社を会津若松で設立し、その後、宇都宮へ本社を移転し、私は現在、その会社を継承しております。若松を離れても、ふるさと“会津”には郷愁を覚え、年を増すごとに誇りに思っております。
2018年8月の“会津若松市戊辰150周年記念式典”に参加させていただきました。式典の中で、会津の先人達の顕彰会が多く紹介され、戊辰戦争という望まない戦いで悲劇を生みだした後も、150年間、顕彰会を通して“真実と義”を伝承していることは素晴らしいことであり、大変感銘を受けました。
戊辰150周年記念宣言には、次の様に述べられています。
“悲劇の戦いの後、厳しい運命と多くの困難に立ち向かってきた多くの先人達の努力によって、今日の会津若松が築かれております。現代に生きる私達は、先人達の想いを受け継ぎ、更に発展させ、次の時代に引き継いでいかなければなりません”。正に、“会津藩士の「義」の継承”を、私達が実践して行くことを述べています。
“先人の跡を求めず、先人の求めしところを求めよ”という言葉があります。これは、先人の結果をまねて求めるのではなく、先人は何をなそうとしたか、想いや志は何であったかを求めなさいという意味に解釈されます。米国エール大学に学び、東大・京大・九大の総長に就任した山川健次郎は、若くして殉職した同志“白虎隊”の想いを常に胸に抱き、それを叶えようと教育界で多大な貢献をされました。そして、山本八重は、弟の死を乗り越えながら、命がけで戊辰戦争を戦い、その後、高等教育や医療奉仕など多分野で活躍されました。今回、顕彰会設立に当たり、その先人・新島八重の求めしところは何か、その想いを顕彰会で更に学び、受け継ぎながら、日本の明日を担う次世代の若い人々へ、その先人の想いを引き継いでいければ、幸いに存じます。
新城会長、岩澤幹事長の下、新島八重顕彰会が益々発展されます様に心よりご祈念申し上げます。
光陽エンジニアリング(株)
代表取締役会長 飯村愼一
(会津若松市観光大使)