🗓 2021年11月13日
吉海 直人
国連は世界中にトイレが行き渡るようにとの願いを込めて、11月17日を「世界トイレ」の日に制定しました。そこで今回はトイレについて調べてみました。
日本人ならすぐにわかりますが、外国人にはわかりにくいと思われるものに「手洗い」と「お手洗い」の違いがあげられます。一見すると「お」をつけて丁寧な表現にしただけのように見えるからです。でも意味が違います。「手洗い」だと洗面所にいきますが、「お手洗い」だとトイレに行くからです。ただし明治以前の古い用例は見当たりません。もともとは女性語だったのでしょう。もちろん「手洗い」だけでも、比喩表現としてトイレを意味する場合があるので、だんだん区別がむずかしくなってきているかもしれません。
いわゆるトイレについては、私がかつてアメリカに出張した際、必要に迫られて真っ先に言い方を覚えた経験があります。その時はウォーター・クローゼット(WC)ではなくレスト・ルームでした。当時、バスルームには抵抗がありましたが、今はユニットバスが普及しているので、普通に使えます。その他、ウォッシュ・ルームやラヴァトリー、メンズ・ルームなどいろいろあって、結局、ホテルに戻るまで我慢したこともありました。というより開放的なトイレに馴染めなかったのです。
よく考えてみると、日本語でもトイレの言い方がいろいろあることに気付きました。昔は「厠」といったようです。これは『古事記』景行天皇の中に出ている非常に古い言葉です。その語源は水を流す溝がある「川屋」とされています(なんと水洗だったのです)。
こういったものは直接表現を避けるため、婉曲に「はばかり」とか「手水(ちょうず)」ともいわれています。「手水」は「お手洗い」に近いですね。その「手水」にしても、『枕草子』の例などは、単純に手を洗うための水のことでした。それがトイレを意味するようになるのは、下って江戸時代からのことです。一方の「はばかり」は、人目を憚ることに由来しています。ただしこれもトイレの隠語としては、江戸時代以降にしか例が見当たりません。
一方、寺院では鎌倉時代からトイレのことを「東司」と称していました。「東浄」ともいうそうです。それに近いのが宮家で使われるという「御東場」です。これが女房詞では「おとう」と称されています。『女重宝記』(元禄5年)には、「大小にゆくを、おとうにゆく」と出ていました。
たまに耳にする「雪隠」も、決して庶民の言葉ではありません。これも仏教(中国の霊隠寺)由来のものとされています(「西浄」の転訛?)。最初は禅寺で用いられたものが、その後、お茶の世界でも使われたことで、今では茶道用語とされています。禅寺では他に「後架」とも称しています。夏目漱石の『吾輩は猫である』にも、「後架の中で謡をうたって、近所で後架先生とあだ名をつけられている」とありましたね。覚えていますか。
汚れた場所であることを表明する「ご不浄」もあります。江戸初期には、「不浄」だけで排泄物のことを表わしていました。それが明治以降、トイレの意味に拡大して用いられています。「御」がついていることから、これも女性語だったかもしれません。
近代になると、化粧もしないのに「化粧室」(パウダールーム・トイレット)というネーミングが増えています。その他、「閑所」「思案所」もあげられますが、「思案所」にしても明治以降の新しい言葉のようです。一方の「閑所」は、もともと人気のない場所を意味する古語でしたが、『日葡辞書』には「便所」とありました。
もちろん日本で一番多く用いられているのが「便所」です。便所というのは、まさに「大便・小便をする所」というストレートな感じですが、やはりそう古いものではなく、室町時代までしか遡れません。ただし「びんしょ」と発音した「便所」なら、平安時代の『続日本紀』の用例まで遡れます。もっともこれは適当な場所という意味で用いられているものです。
なお平安時代の寝殿造りには固定した厠(部屋)がなく、適当な部屋に移動式の壺やおまるが用意されていました。いつしか「厠」が固定化される中で、徐々に大衆化されていったのでしょう。もともと「便」は排泄物そのものの意味ではなく、うまく排泄されることでした。だから「お通じ」なのです。この「お通じ」といういい方も、江戸時代から使われていました。
そういえば昔は、公園などに「公衆便所」が併設されていましたね。最近は「便所」という言い方が避けられ、「公衆トイレ」に改められています。なんと女子大学の案内図でも、トイレあるいはWCとなっていました。日本語が消えるのも国際化の反映なのでしょうか。という以上に、トイレに関して日本は非常に恵まれた環境にあると思ってください(温水ウォシュレットは世界最高です)。惜しげもなく紙が使えるのも日本の文化です。