🗓 2023年11月08日

第2代内閣総理大臣黒田清隆は薩摩出身であるが極めつけの酒乱である。酔えば暴れ醒めれば謝るを繰り返していた。妻喜代の出迎えが悪いと斬殺した噂は有名である。総理大臣にはなったが、その酒癖の悪さから薩摩閥でも孤立していた。もとより西郷隆盛の信奉者であり西南戦争で西郷を自刃に追い込んだ自責の念からかそのあたりから酒乱がひどくなったという。

今読んでいる「新たなる北へ」(若林滋著)にその時の北海道開拓使の狼狽ぶりが出ている。「黒田閣下御令室28日逝去ス。葬送ハ29日、忌引3月28日ヨリ4月19日マデ。忌引中ハ大書記官西村貞陽ヲシテ官務ヲ代理ノコト」北海道開拓使は大騒ぎとなった。本庁ドームに掲げられた「北辰旗」は半旗になった。

主人公は言う。「会津で大勢殺し、先だっては大恩人の西郷を自刃させ鹿児島県人を大勢死なせた。報いがあったんだべ。」

夫人はもとより肺結核の持病があり血痰をいていた。東京に弔問に行った人々が「夫人は酒に酔った長官に殺されたらしい。」「惨殺されたとも、蹴り殺されたともいわれている。」とのうわさ話を持ち帰った。団々珍聞(まるまるちんぶん)が絵入りの週刊風刺誌が黒田殺害説を報じて発禁処分になった。その絵では後ろに立てかけた屏風の文章の頭文字を横に読むと「黒開拓長官」となる。薩摩閥の影響で妻殺しの究明が甘かったと判断した者たちの紀尾井坂での大久保利通暗殺の伏線となった。

その酒乱黒田清隆は八重の幼馴染日向ユキの夫内藤兼備ととても仲が良く大酒を飲んでも兼備の前ではおとなしかったという。

(文責:岩澤信千代)