🗓 2025年04月19日
吉海 直人
みなさんは「お八つ」というと、午後3時に食べる甘いお菓子のことだと思っていませんか。ところが旧暦の「八つ」は午後1時から3時までの時刻のことでした。ですから3時になると、未の刻ではなく申の初刻(七つ)になってしまいます。旧暦の「八つ」といわゆる「お八つ」では、一時間のずれが生じていることになるのです。ご存じでしたか。
そもそも時刻に「お」という尊敬語が付いていますよね。これについてはいかがですか。もちろんこの敬語は、間食という行為に付けられているわけではありません。当時の人たちは、近所にあるお寺から聞こえてくる鐘の音によって、時刻を知ることができました。例えば京都の人は、本願寺から聞こえてくる鐘を聞いていました。その鐘の音に敬語を付ける必要もありません。もしあるとしたら、それは本願寺という大きなお寺を敬ってのことになります。
お寺では基本的に正刻になると、決められた数だけ鐘を鳴らしました。未の刻だと2時が正刻なので、2時に鐘が「八つ」鳴らされました。だから「八つ」時なのです。だとしたら、「お八つ」の鐘は午前2時になります。ところが多くの解説書では、3時に鐘が鳴らされたと説明しています。そのため未の刻を午後2時から4時までとして、その正刻の3時に間食を食べたとうまく説明しているのです。旧暦の未の刻と「お八つ」との間に、1時間のずれが生じていることに疑問は抱かなかったのでしょうか。あるいはそれを承知の上で隠蔽したのでしょうか。
ところで「八つ」時の間食は、江戸時代から既に行われていたとされています。それ以前の記録は見当たりません。おそらく江戸時代には、午後1時から3時までの「八つ」時なら、いつ食べてもよかったのではないでしょうか。もちろん時の鐘を合図にしていたとすれば、正刻の午後2時を合図に食べたとするのが妥当です。ですから午後3時とするのは無理があるのです。
となると「お八つ」が午後3時に特定されたのは、案外新しいのかもしれません。中には文明堂のカステラが、「カステラ1番電話は2番3時のおやつは文明堂」というコマーシャルソングを流したことから、「3時のお八つ」が全国的に広まったという人までいます。このコマーシャルを御覧になったことがありますか。オッフェンバッハの「天国と地獄」という曲を背景に、五匹の猫がラインダンスを踊るあの有名なコマーシャルです。これは文明堂豆劇場と命名されて、1962年以降テレビでずっと放映されてきました。だから文明堂発祥説がいわれるのも無理はありません。
ただし本場の長崎では、このコマーシャルは流されていなかったとのことです。というのも、このコマーシャルを製作したのは東京文明堂だからです。ついでながら、当初から踊っている動物はなんだという疑問の声があがっていました。制作側はカンカンキャット(猫)をイメージしていたそうですが、猫より子熊に見えるということで、途中から子熊でもいいと容認したというエピソードも残っています。
いずれにせよ当時カステラは、まだ高級菓子の代名詞みたいなものでした。文明堂はそれを大衆の菓子にしようとしていたのです。「電話は二番」というのは、苦労して赤坂二番という電話番号を入手したことが背景にあります。この電話番号から、本場長崎とは無縁だということも証明されます。ここまで「一」「二」と来て、その延長線上に「三」があります。そこで「3時のおやつ」という歌詞ができあがりました。
まだ徹底的な検証はできていませんが、これ以前に3時におやつを食べる習慣が定着していないことが明らかになれば、「3時のおやつ」は文明堂のコマーシャルによって定着した習慣ということになります。それも面白いですね。ただそううまくはいきません。というのも、『日本国語大辞典第二版』の「お八つ」の語誌には、
(2)江戸後期になると、京坂地域を中心に「八つ茶」「小昼」という言い方も広まった。明治以後、時刻制度が変わって「お三時」という言い方も現われるが、「おやつ」の方が一般的な言い方として残っている。
とあるからです。これによれば、「お八つ」は元禄期以降にあったことになります。『千代田城大奥上』(朝野新聞社)にも、大奥では午後2時に「お八つ」を食べていたことが記載されています。また「お三時」という言葉は、明治以降に京阪地域でいわれたとされているのですから、文明堂起源説は成り立たないことになります。
そこであらためて『日本国語大辞典第二版』で「お三時」を見ると、室生犀星著『続女ひと』(1956年)中の「藤村とお千代さん」に、「さてまた黙ってお三時にもそうやってお茶をいれてくれたのが、このお千代さんだった」と引用されており、文明堂のコマーシャル以前に、3時に間食を食べる習慣が既にあったことがわかります。
ここに「茶」とありますが、「八つ茶」という言葉も江戸時代から用例がありました。滑稽本『街能噂』(1835年)には、「春から夏へかけて日の長い時分になりやすと昼飯から夜食の間に又飯を一度喰ひやす。是を八ツ茶とも小昼ともいひやす」とあって、この「八つ茶」「小昼」も「お八つ」の貴重な資料といえそうです。
ということで、今のところ午後3時に甘い菓子を食べるようになったのは、どうやら明治以降の新しい習慣ということになりそうです。