2025年04月26日
吉海 直人
現代と古典では暦法が異なっているため、現代感覚で古典を解釈しようとすると大きな誤りを犯すことがあります。第一に知っていただきたいのは、明治6年に暦法が大きく改正されたことです。それ以降は新暦として太陽暦(グレゴリオ暦)が用いられています。それ以前はいわゆる旧暦として太陰太陽暦が長い間使われてきました。
勘違いしている人も少なくないようですが、旧暦は単純な太陰暦ではありません。かなり複雑な太陰太陽暦です。もちろん月の運行を元にしているのですが、太陰太陽暦は閏月を入れることによって太陽暦との誤差を修正していますから、狂いの大きい太陰暦とは明らかに違っています。ただし古典文学、たとえば『源氏物語』には何故か閏月の記述が出てこないので、その点には注意が必要です。
次に定時法と不定時法の違いを覚えてください。定時法というのは、四季の移り変わりにかかわりなく、一日の時刻が一定になっているます。それに対して不定時法は、季節によって昼と夜の時間を変化させています(サマータイムに近い?)。この方が感覚的にわかりやすいということで、江戸時代には不定時法が採用されていました。そのため、つい古典全般を不定時法で理解してしまいそうになります。
でも平安時代の貴族社会では、定時法が採用されていました。そのことに留意すると、時代によって時刻のとらえ方が異なるというか、時刻そのものが異なっていることになります。ですから江戸時代の不定時法で平安時代をとらえると、時刻の解釈を誤ることになりかねないのです。
ただし定時法は、あくまで京都に住む貴族だけの特権であって、庶民や地方の人々は暦を持っていませんでした。源氏が須磨へ流謫すると、そこでは定時法は通用しません。ですから場合によると、平安時代は定時法と原始的な自然時法を混在させた方がいいのかもしれません。そう考えると、当時の貴族がどこまで時間に厳密に生活していたのかも疑わしいのですが、少なくとも古典文学においては、定時法を基本にして考えるべきです。
ついでですが、一日の始まりはいつだと思いますか。現代は12時を過ぎると翌日になりますね。シンデレラの12時はそれで解釈できそうです(日付が変わると魔法の力が切れる)。それに対して古典では、午前3時(寅の刻)が日付変更時点でした。現代も古典も、共に真っ暗な時間に日付変更時点が設定されていることになります。このこともしっかり頭に入れておいてください。
なお古典では、翌日になることを「明く」と称していました。それが誤解を招く最大の原因になっています。というのも、「明く」は視覚的なニュアンスが強いことから、「夜が明ける(明るくなる)」意味にとらえられやすいからです。ですから古典の「明く」を見たら、必ず翌日になる意味なのか夜が明ける意味なのかを吟味しなければなりません。決め手は一つです。それは視覚的に明るくなっているのか、それともまだ暗いのかを状況(文脈)から判断することです。音(聴覚)や月が描かれていたら、あたりはまだ暗いはずです。もし判断材料がなかったら、迷わず保留にしましょう。
その寅の刻とぴったり重なっているのが、いわゆる「暁」の時間帯でした。となると暁になるというのは、決して夜が明ける(明るくなる)意味ではなく、日付が変わって明日になることなのです。もともと午前3時が暁のはじまりですから、夏でも外が明るいはずはありません。
これを当時の通い婚という結婚形態に当てはめると、「暁」になると男女は別れなければなりませんでした。具体的には、通ってきた男が女の元を去る時刻が到来したことを意味します。それが「暁の別れ」であり「後朝の別れ」です。当然「暁」の描写は、恋物語展開においては非常に重要なのです。よく有明の月が描かれているのも、あたりがまだ暗いからだと思ってください。
ところがこれまで、翌日になるという解釈はほとんど行われておらず、「夜が明けた」とか「明るくなった」ので男が帰ったという理解が一般に浸透していました。今でも辞書の説明や現代語訳はそうなっているものが多いようです。この「明く」の二重構造に留意するだけで、男女間における「暁」の重要性がより鮮明になるし、解釈の誤りにも気づくはずです。古典を読むためには時間表現の違いにも敏感にならなければならないのです。