2025年05月03日
吉海 直人
与謝蕪村の代表的な句は何かと問われたら、迷わず「菜の花や月は東に日は西に」と「春の海ひねもすのたりのたりかな」の二つをあげます。蕪村の句は多いのですが、これ以上の句は思い浮かびません。それに賛同してくださる人も少なくないかと思います。
ところが「春の海」の句はやっかいです。というのも、「菜の花や」の句については苦もなくコラムに仕上げることができましたが、この「春の海」に関しては、コラムにしようにも書く材料が見つかりません。いい句だとはわかっていても、平明すぎて枚数が稼げないのです。ある意味コラムニスト泣かせの名句だといえます。
たとえばこの句の解説など、誰が書いても同じようになってしまいそうです。「春の海」は季語ですが、ここで一端切れます。「ひねもす」というのは「一日中」という意味の古語で、古くは『万葉集』にも用いられています。『日本国語大辞典第二版』では、
とあって、「夜もすがら」と対になった慣用的表現と説明しています。私自身、高校の頃「昼はひねもす夜は夜もすがら」と覚えさせられた記憶があります。
後になってこれがどこに出てくるのか、出典が気になって調べてみたのですが、古い例は見つかりませんでした。かろうじて二葉亭四迷の『浮雲』第三回に、
とあるのが見つかったくらいです。慣用的といっても、そんなに古くからいわれていたのではなさそうです。
ところでこの句最大の特徴は、「のたり」でしょう。もともとは副詞的用法の擬態語ですが、これも古い例が見当たりません。『日本国語大辞典第二版』には、『卯の花かつら』(1711年)に載る「建つめた中にのたりと増上寺」という句が初出例として掲載されていました。あるいは江戸の俳諧用語なのかもしれませんね。
それが「のたりのたり」と二つ重なると、おそらく蕪村の句がもっとも早い例のようです。一語だけよりも二語重ねたことで、春の海ののどかさ波の穏やかさ、さらには光が反射する海の光景までもが、映像として喚起されてくるようです。油断していると、居眠りしてしまいそうなのどかさ・暖かさですね。この「のたりのたり」こそは、蕪村の句を有名にした最大のポイントだったといえます。必然的に辞書の「ひねもす」の例文には、必ず「のたりのたり」の句が引用されています。
では「春の海」は、一体どこの海を詠んだものなのでしょうが。これがこの句の唯一の謎とされています。というのも、どこで詠まれたのかはっきりしないのです。困った時には蕪村の生まれ故郷が提起されます。それは丹後半島の与謝海(宮津湾)です。本来日本海は波が荒いことで有名なのですが、ここは天橋立で有名なように内湾があって、この句のモチーフとして最適ではないでしょうか。ということで、古くからここが「春の海」の句が詠まれた場所とされてきました。
それに対してもう一か所、新たな候補者が出現しています。それが瀬戸内海の須磨浦です。というのも『誹諧金花伝』(1773年)には、「すまの浦にて」の前書きが付いてこの句が掲載されているからです。少なくとも『誹諧金花伝』に依拠すれば、この句は「須磨浦」で詠まれたものとなります。
これで「春の海」の候補地が二つになりました。実はもう一つ有力な候補があげられます。それは藤田真一氏の説ですが、この句は1770年9月26日の月並み句会の席上、「名所浦」という蕪村が引き当てた探題のもとに詠まれた句だというのです。これに依れば、蕪村は与謝海で詠んだのでも須磨浦でもなく、「名所浦」という題で詠んだことになります。それは写実ではなく心象風景だったのです。
もちろん蕪村の脳裏には、故郷の与謝海がなつかしく想起されていたかもしれません。あるいは数年前に訪れた須磨浦を回想していたのかもしれません。それはそれとして、この句は写実ではなかったというのがもっとも有力な説なのです。
ああ、やっとコラムが書けました。