🗓 2025年09月06日
吉海 直人
日本の名字はほぼ漢字で書かれています。漢字二字の名字がほとんどですが、中には一字もあれば三字以上のものもあります。しかも英語と違って、漢字には音読み訓読みなど複数の読みがあるので、日本人でも読めなかったり読み間違ったりすることも少なくありません。
たとえば歌手の東海林太郎さん、子どもの頃はそのまま「とうかいりんたろう」としか読めませんでした。それが「しょうじたろう」だとわかったのはずっと後のことです。またフィギアスケートの選手だった村主章枝も、「むらぬし」と読んでしまいます。これを「すぐりふみえ」と読める人はどれくらいいるでしょうか。実は「村主」というのは古くは村長のことで、しかも起源は古代渡来人系に由来するそうです。古代朝鮮語で、「スクリ(足流)」というのは村や郷を意味したそうです。京都で有名なのは「一口」ですよね。まさかこれで「いもあらい(芋洗)」とは読めませんでした。一説によると「忌祓い」が訛ったものだそうですが、納得できません。
では「京都」はいかがでしょうか。これをそのまま「きょうと」と読む姓はないそうです。もう少し古風に「みやこ」と読んでみてください。どうしてそう読むのか納得のいかないものもあります。福島県いわき市の「青天目」はこれで「なばため」と読むそうです。「生田目」ならわかりますが、「青天目」は読めません。また「四十八願」は仏教関係のようですが、これでどうして「よいなら」と読むのか、やはり納得できません。
中には数字に由来する面白い名字も少なくありません。「一」という数字は二の前だから、そのまま「にのまえ」と呼ばれるようになりました。それに対して「九」は、一字で「く」と読むことから、「いちじく」と読んでいます。「九十九」は次が百だから、「つぎもも」が訛って「つくも」になったとされています。いわゆる言語遊戯ですね。
もっと複雑になると、「四月一日・四月朔日」は旧暦では季節が春から夏に変わるので、衣替えとして着物の綿を抜くということで「わたぬき」と読ませています。同様のものに「八月一日・八月朔日」もあります。これは旧暦の八月一日に稲の稲の穂を摘んだことから「ほづみ」と読ませました(穂積も同じ)。さらに年度末の「十二月三十一日」は、その日で一年が終わることから、日がないことで「ひなし」あるいは日が詰まっていることから「ひづめ」と読ませたそうですが、現在この姓を名乗っている人はいないとのことです。というより年末が十二月三十一日になったのは新暦以降ですから、これは新しく考案されたもののようです。
ここで数字を離れて、「鴨脚」はいかがでしょうか。これは水掻きのついた鴨の足が銀杏の葉に似ていることから、そのまま「いちょう」と読ませています。「春夏冬」はわかりますか。これはよく見ると「秋」がないので「あきない・あきなし」と読ませています。では「一尺八寸」はいかがですか。これは昔の長さの単位ですが、ちょうど「鎌の柄」の長さが「一尺八寸」あったことから、これを「かまつか」と読ませています。
より言語遊戯が強烈になったものもあります。「東川」というのは尋常ではありません。十二支を北から時計回りに並べると、東は「卯」になるので、これで「うのかわ」と詠ませるのだそうです。もう一つの「東江」は、太陽が東から上がるので、「東」を「あがり」と読ませて「あがりえ」だそうです。まず読めませんよね。
とんちで読む姓の代表は「鳥遊」でしょうか。小鳥が遊んでいるのは天敵の「鷹」がいないからです。それでこれを「たかなし」と読ませています。「月見里」はわかりますか。月がきれいに見える里は周囲に山がないからです。だからこれは「やまなし」になります。
もう一つ、「栗花落」はどうでしょうか。栗の花は梅雨の入りの前に咲いて、梅雨の頃に散ります。それで「ついり(つゆいり)」なのだそうです。とんちどころか謎かけみたいですね。
京都らしいものとして、「勘解由小路」があげられます。これは平安京の路についた名称ですが、「かでのこうじ」と読みます。藤原氏の中の日野流烏丸家の分家・烏丸光広の次男である資忠がこの名字を使ったそうです。次に「薬袋」はもちろん「くすりぶくろ」ではありません。かつて武田信玄が「薬袋」を落として家臣がそれを届けた際、「中身を見たか」と問われたので「見ていない(=みない)」といったことから「みない」という名字を与えられたそうです。動詞がそのまま名字になるなんて珍しいですね。