🗓 2022年03月06日
昨夜、津田梅子を扱ったテレビドラマをみた。コンパクトによくまとめられていたが感動的というものでもなかった。会津藩の山川浩家老の妹、山川咲(捨松)がそれなりにインパクトを与えていた。徳富蘆花という蘇峰の弟で作家がいた。彼は会津藩出身の山川捨松と新島八重の悪口を書いて有名になった。捨松は子持ちの薩摩藩出身で17歳年長の陸軍卿大山巌の妻になったのだが、継子を苛めたという事実と違うことを小説化されて迷惑をした。
バザーの話があったが、金持ち階級が、バザーの商品を買って、多額のおつりがあっても捨松主導で支払わずに寄付に回してもらったという微笑ましいエピソードは紹介されていなかった。山川捨松の献身的な応援がなければ名門女子大学津田塾大学の発展がなかったことは確かだ。
戊辰戦争で敗れた敵である薩摩出身の内藤兼備と結婚した日向ユキと同じく、大山巌との結婚は当時としては凄い勇気のいる決断であったことは間違いない。第一に捨松は日本語が話せなかった。大山巌とは英語かフランス語で話した。外国語を話せた大山巌だったから夫婦の会話が成り立ったのだ。そういう意味では大山が捨松の夫としては適任だったのだ。
捨松は「鹿鳴館の華」ともてはやされたが、江戸時代に結んだ不平等条約の改正の為、明治政府は諸外国に対し西欧化をアピールし涙ぐましい努力をしていたのだが、大山捨松はその片棒を担わされたのであった。
(文責:岩澤信千代)