🗓 2025年05月31日

吉海 直人

前に京都の弘道館で「京菓子展」が開催されていることを書きましたが、2022年には『枕草子』が取り上げられました。「をかしの文学」とされている『枕草子』なので、「お菓子」つながり(言語遊戯)でもっと早く出番が回ってくるだろうと思っていたのですが、案外遅かったというのが正直な感想です。その『枕草子』のお菓子ですが、もちろん今のような和菓子は平安時代には存在していなかったのですから、清少納言が食べたはずはありません。
 実は「菓子」という言葉が曲者でした。平安時代の意味は、原則「果物」のことだったからです。仮に「菓子」を食べるという記事があったとしても、実際に食べているのは橘などの果物でした。それでは面白くないので、和菓子の原形のようなものが求められ、ようやく唐菓子からくだものにたどりつきました。こうして最近の和菓子屋さんの歴史を見ると、ほぼ唐菓子からの起源が語られているのです。
 その唐菓子は、ごま油などで揚げた揚げ菓子です。奈良の「ぶと」(ぶと饅頭の餡の入っていないもの)あるいは京都の亀屋清水の清浄歓喜団に近いものと思ってください。沖縄のサーターアンダギーは、既に砂糖(サーター)が使われているので、砂糖抜きのアンダギー(油で揚げたもの)を想像してください。要するに平安時代に菓子とされているのは第一に果物で、第二に中国から伝来した唐菓子として、餅や団子を油で揚げたものだったのです。もちろん既に葛の汁を煮詰めた甘葛あまづらがあったので、多少は甘味もついていました。 それが和菓子の原形とされているものなのです。
 では『枕草子』の中に、そういったものがあるかどうか探してみると、かろうじて四点見つかりました。それは第40段にある「削り氷」(かき氷)、第83段にある「ひろき餅」(のし餅)、第127段にある「餅餤へいだん」、第223段にある「青ざし」の四つです。
 第40段「あてなるもの」には、

けずに甘葛入れて、あたらしきかなまりに入れたる。(新編全集98頁)

と出ています。「削り氷」は「かき氷」の原形のようなものです(『源氏物語』蜻蛉巻にも出ています)。なお第40段の末尾には、

いみじううつくしきちごのいちごなど食ひたる。

ともあって、果物としての「いちご」も並んで出ています。

次に第83段「職の御曹司におはしますころ、西の廂に」には、

くだ物、ひろき餅などを、物に入れて取らせたるに、(152頁)

とあって、ここでは「くだ物」と「ひろき餅」が並記されています。ただし「ひろき餅」が一体どんなものなのかはわかっていません。おそらく「のし餅」のことだろうとされています。今から見ると、とてもお菓子には思えませんが、こういったものでもあげないと、お菓子はなかったことになってしまいかねません。

第127段「二月、官の司に」には「餅餤」が3例も出ています。
 いそぎ取り入れて見れば、餅餤といふ物を、二つならべて包みたるなりけり。添へたる立て文には、解文げもんのやうにて、

進上  餅餤一包  例に依て進上如件  別当 少納言殿 (238頁)

これは頭の弁(藤原行成)が贈ってきたものだったので、清少納言も、

返事いかがすべからむ。この餅餤持て来るには、物などや取らすらむ。知りたらむ人もがな。 (239頁)

と、しきたりに従った返事をしようとしています。ここに出ている「餅餤」というのは、餅の中に野菜や卵を入れて煮たものとされていますが、「餅餤といふ物」とあるように、清少納言自身普段あまり見かけなかったもののようです。

最後の第223段には、

青ざしといふ物を、持て来たるを、(358頁)

とあります。これが「光る君へ」第28話に登場しました。ききょうが定子に青ざしを差し出した場面です。この「青ざし」というのは、青麦の粉で作った菓子とされています。これは五月五日の記事ですが、ここも「青ざしといふ物」とあって、やはりその言い方から清少納言には馴染みのないものだったことが察せられます。というより「青ざし」は『枕草子』が初出のようなので、これ以外のことはわかりません。

以上のように『枕草子』には、和菓子の原形として四種類の菓子らしきものが登場していました。ただし清少納言は、必ずしもそれをおいしく食べているとは書いてありません。しかもほとんどは餅の類ですから、これを和菓子の原形と見るのは難しいですね。