🗓 2025年05月24日

吉海 直人

京都の弘道館では、毎年「京菓子展」を開催し、古典文学にちなむ和菓子のデザインを募集しています。2017年が『小倉百人一首』で、2018年が『源氏物語』だったことから、私も毎年楽しみにするようになりました。実は2018年度には、頼まれて「平安の『源氏物語』と江戸の『源氏物語』―源氏菓子を起点に―」という講演をさせていただきました。この時『源氏物語』の中に描かれている菓子について調べました。もちろんそんなにたくさん描かれているわけではありませんし、それを菓子のルーツと見ていいのか迷います。紫式部は必ずしもスイーツ女子ではなかったようです。
 紫式部に限らず、平安時代に和菓子と称すべきものはまだありませんでした。現在の和菓子屋さんからすれば、到底和菓子とは認められないものばかりです。ただし少しでも和菓子の歴史を遡らせるために、甘くもない餅までもそのルーツに加えているのでしょう。 そういった目でみると、かろうじて『源氏物語』には、

  1. 「その夜さり、亥の子餅参らせたり」(新編全集『源氏物語』葵巻72頁)
  2. 「こなたにて御くだもの参りなどしたまへど」(薄雲巻435頁)
  3. 「わざとなく、椿餅、梨、柑子やうの物ども」(若菜上巻142頁)
  4. 「高坏どもにて、粉熟まゐらせたまへり」(宿木巻473頁)
  5. 「宮の御方より、粉熟まゐらせたまへり」(宿木巻482頁)

などの例をあげることができます。葵巻に見える「亥の子餅」というのは、紫の上の新枕(新婚)の「三日夜の餅」の前日に出されています。十月の初亥の日(初旬)に食べると万病を祓い子孫が繁栄するとされているのですが、甘いのか美味しいのかは記されていません。むしろ「三日夜の餅」を浮上させるための契機になっているようです。

薄雲巻の「くだもの」、漢字で書くと「果物」ですが、草冠の付いた「菓子」と似ているとは思いませんか。昔「菓子」といったら、普通は果実のことでした。まれに果実以外の加工食品である「唐菓子」(唐果物)のことも意味します。「唐菓子」は当然中国の菓子ですが、粉や小麦粉を練って油で揚げたものです。その「唐菓子」が定着してくると、果物は「水菓子」と称されるようになります。
 若菜上巻の「椿餅(つばいもちひ)」は、蹴鞠の後宴で出されたおやつ代わりのものです。これは現在の道明寺粉に果汁を加えて作った餅を、椿の葉で挟んだものとされています。最後の「粉熟(ふずく)」は宿木巻にのみ二度出ています。大河ドラマ「光る君へ」の第一話で、三郎がまひろにあげたものがこれです。米粉や豆粉に甘葛で甘みを付けて丸くしたものとされています。お祝いの宴に供せられた比較的高価な菓子だったそうなので、三郎の家で何かのお祝いがあったのでしょう。この「粉熟」なら和菓子のルーツといえそうです。
 これとは別に、『源氏物語』を題材として、それをイメージした和菓子作りもあります。これは江戸時代以降、いろんな和菓子屋さんで試みられてきました。たとえば羊羹で有名な虎屋は、定期的に「源氏物語と和菓子」展を開催しています(解説した小冊子も作られています)。またゴーフルで有名な神戸の風月堂も、『源氏物語』の語り部・村山リウさんの依頼を受けて、毎月の語りの会で語られる巻に合わせて「源氏の由可里」を20年も提供し続けました。その後、山下智子さんの源氏語りに変わりましたが、今も同じように和菓子が提供されているとのことです。これは各巻の特徴を活かしたものですから、巻名和歌ならぬ巻名菓子ということになります。末富さんでも、『源氏物語』の巻や百人一首の歌をイメージした和菓子を創作しています。また俵屋吉富さんも千年紀の折に、「京菓子でつづる源氏物語展」を開催しました。
 その他、老松さんでは「源氏香之図」のデザインを活かした「源氏香」という落雁を製造しています。なお「源氏香之図」は五十二種類あって、桐壺巻と夢浮橋巻を除いた五十二の巻名が付けられています。ただしこれは平安時代にはなかったものなので、あくまで江戸時代の源氏解釈ということになります。これこそ平安に遡れない江戸独自の『源氏物語』でした。いずれにしても古典文学を題材にした菓子を創作することは可能です。そのため有斐斎弘道館では古典を対象としたデザイン公募展を主催しているのです。