🗓 2022年03月26日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

滝廉太郎作曲の「花」ができたのは明治33年のことでした。作詞は、日本女子大学教授で歌人の武島羽衣はごろもが担当しています。もともとは春の「花」、夏の「納涼」、秋の「月」、冬の「雪」の四部作であり、組歌『四季』の第一曲として作られたものです。だただし「花」だけ単独で歌われることが多いようですね。その一番の歌詞は、

春のうららの隅田川  のぼりくだりの舟人が
櫂のしづくも花と散る ながめを何にたとふべき

となっています。のどかな隅田川の春の光景が、七五調で見事に描写されていますね。

「うらら」は「うららか」です。間違いやすいのは「舟人が」の「が」です。これは主格(主語)ではありません。いわゆる連体格の「が」で、「舟人の(手にしている)櫂」と続きます。また末尾の「べき」は、上の「何に」と呼応して、反語の意味(何にもたとえられない)を表しています。「か・や」の省略とするとわかりやすいかもしれません。明治といいながら、文体は古文そのものですね。
 実はこの歌詞には、どうやら『源氏物語』胡蝶巻が下敷きになっているようです。胡蝶巻というのは、光源氏が築いた六条院の春の御殿が舞台となっています。その女主人である紫の上が龍頭鷁首げきしゅの船を池に浮かべて船楽を催し、そこに秋好中宮付きの女房を招待し、春のすばらしさをこれでもかと見せつける趣向になっています。
 見物にやってきた女房達はただもううっとりとして、本来はライバルであるはずの春の御殿を讃える和歌を詠じてしまいます(これは秋の敗北を意味します)。その最後の歌こそが、

春の日のうららにさしていく棹のしづく花ぞ散りける

でした。一見しただけで、「花」の一番の歌詞と類似していることがわかりますね。これについては既に『源氏物語』の研究者として名高い玉上琢弥氏が胡蝶巻の解説の中で、

滝廉太郎の作曲で今も歌われる「花」の作詞は武島羽衣だが「春のうららの隅田川、上り下りの舟人が、かいのしづくも花と散る、ながめを何にたとふべき」は、この歌によったのである。

(『源氏物語評釈五』二二四頁)

と指摘しています。「うらら」は珍しい表現ですが、胡蝶巻と一致していることから、むしろ『源氏物語』を踏まえていることの証拠になりそうです。

唯一、「棹のしづく」が「櫂のしづく」に変っています。「櫂」の方が、「花のように散るしずく」がたくさん散るはずです。でも胡蝶巻では、「さす」に「日が射す」と「棹指す」が掛けられているので、どうしても技法的に「棹」でなければなりません。あるいは「のぼりくだりの舟」そのものが、「櫂」を用いる西洋的なボートをイメージしているのかもしれません。もしこれがボートレース(早慶レガッタ)の光景だとすると、従来想像されていた古風なイメージは幻想だったことになります。さていかがでしょうか。
 ついでながら一番だけでなく、二番の歌詞にある「桜」・「青柳」も胡蝶巻に出ています。「あけぼの」に近い「朝ぼらけ」、「夕ぐれ」に近い「暮れ」もあります。また三番の「錦」も同様です。これだけ用語が一致・類似しているのですから、武島羽衣は『源氏物語』胡蝶巻の描写を踏まえて「花」の作詞に応用したと言って間違いなさそうです。さてみなさんは『源氏物語』がピンときましたか。こんなところでも古典の教養が試されているようで恐いですね。