🗓 2024年08月17日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

みなさんは上島鬼貫(1661~1731)という俳人をご存知ですか。後世に「東の芭蕉、西の鬼貫」とまで称されていますが、やはり芭蕉ほどの知名度はありませんね(芭蕉より17才年少です)。伊丹郷(現在の伊丹市)にある酒造業者の三男として生まれた鬼貫は、八歳の時に「来い来いといへど蛍が飛んでいく」と詠んだといわれています。13歳の時から本格的に俳句の修行を始めました。
 鬼貫の名句としては、真っ先に「行水の捨て所なし虫の声」があげられます。これは加賀千代尼の「朝顔に釣瓶とられてもらい水」にも通じるやさしさが感じられる句ですね。この句でまず目につくのは、「行水」という夏の季語と「虫の声」という秋の季語が含まれていることです。普通だったら、季語は一つでいいと批判(添削)されるところです。ただしこの句は、ちょうど夏の終わりから秋の始めをモチーフにしているので、むしろ二つある方が、季節の変わり目であることがよくわかります。
 ところで最近の人は「行水」を知らないので、読み方もわからないかと思います。これは「ぎょうずい」と読みます。江戸時代には夕方に家の庭などで盥に水や湯を入れて、お風呂代わりに水浴びをしました。それが浮世絵の題材となり、女性や子供が行水している浮世絵がたくさん残っています。鬼貫と同時代の井原西鶴が書いた浮世草子『好色一代男』(天和二年)には、遠眼鏡で女性の行水を覗く世之介が描かれていました。
 もっと古くは宗教用語で、潔斎のために身を清めるために使われていました。鎌倉時代以降は主に仏教用語として使われたようです。たとえば『吾妻鑑』弘長三年(1263年)十一月八日条には、「伴僧有一日三箇度行水」と記されているし、『沙石集』巻4―6にも、「湯沸して行水の用意し給へ」とあります。現在は既に死語化しているようですが、かろうじて「烏の行水」ということわざとして残っています。
 ただし明治以降の文学作品にも、行水という言葉は少なからず見つけられます。家庭に風呂が設置されたのはかなり最近のことですから、近くに銭湯がなければ行水を使うしかなかったからです。もちろん夏場は銭湯へ行かず、行水することでお金の節約にもなりました。
 鬼貫が行水に使った水を捨てようとしたところ、周りで秋の虫が鳴いていることに気づいたのでしょう。ここで水を捨てれば、その音に驚いて虫の声がやんでしまいます。捨てるに捨てられない鬼貫の心遣いが感じられますね。後にこの句を揶揄した「鬼貫は夜中たらいを持ち歩き」という句が作られました。水が捨てられない鬼貫は、夜中まで水の入った盥を持ち歩いていたという趣向です。そんなに心配しなくても、たとえ盥の水を捨てる音によって虫鳴くのをやめたとしても、すぐにまた泣きだすに違いありません。取り越し苦労という可能性もあります。
 なお、この句の最大の問題点は、「行水の捨てどころなき虫の声」という本文異同が存していることです。では二句目の末尾が「し」か「き」かでどう違うのでしょうか。一つは終止形か連体形かですね。「し」とすると二句切れになるし、「き」とすると句切れなく続きます。どちらも文法的に間違っているわけではありません。「し」だと捨てどころのないことが強調されているし、「き」だと虫の声の詠嘆が強調されているのでしょう。
 どちらでもかまわないのかもしれませんが、微妙なところにこだわることこそが俳句なのではないでしょうか。